阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年9月22日
召天者合同記念礼拝
「イエス・キリストは変わらない」
ヘブライ人への手紙13章8節

 一年が瞬く間に過ぎて、今年も先に召された兄姉を記念する礼拝の時が与えられています。
信仰の先輩たちの、在りし日の信仰の姿勢を思い起こし、最善をなして下さる天の父に礼拝をささげましょう。
今日は、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ13:8)との御言葉に聞きたいと思います。
主イエスは、救い主です。約2000年前にこの世に遣わされて、全世界の罪の贖いとして十字架に架ってくださいました。
全く罪とはかかわりのない方が、罪を背負われて、私たちすべての者の身代わりとして十字架に架られたのです。
十字架は美しいものではありません。惨たらしい、恐ろしい死刑の方法です。当時のローマ帝国は、この刑罰は反逆者や極悪人に対して与えていました。
主イエスは捕らえられ、茨の冠をかぶせられ、何度も鞭打たれ、重い十字架を担われて、処刑場であるゴルゴタへ向かわれました。
途中でキレネ人のシモンが、無理やり十字架を担がされたという記録が残っています。
主イエスは十字架で死なれて、三日目に復活されました。
これがイースターです。
主イエスは今生きておられて、私たちを救い、罪を赦し、永遠の命を与えてくださる神なのです。
だれでも主イエスを心に信じて受け入れるなら、直ちに新しい命に満たし、神の子としてくださいます。
先に召された方々は、この世の命は尽きましたが、永遠の命に生きておられる方々です。
本来自分が居るべきところに帰って行き、また私たちも天国で再会の希望を持ち続けながら、地上での歩みを続けていくのです。
天国での再会という希望に生かされることは、なんと幸いなことでしょうか。
主が許される限り、私たちはこの世の歩みを続けていきますが、いったいどのように歩むのか、聖書は教えています。
主イエスは、その秘訣を教えておられます。
マタイによる福音書6章25節以下には、大切な教えが記されています。それは、「思い悩むな」、「心配するな」という教えです。
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」
(マタイ6:25)とあります。
人は事あるごとに悩み、あるいは事が起きていないのに、心配の先取りをすることさえあります。
それは主イエスを信じる者にとって、無益なことです。まだわかっていない事で悩むことは、愚かなことと言わざるをえません。人はいったん悩み始めると、それが膨らんでいき、神への信頼さえ薄くなってしまう危険さえあるのです。心配のパン種は膨らむ前に、早く取り除かなければなりません。
主イエスは、私たちがこの世で歩むために必要なものは、すべて与えられるから心配することはないと教えておられます。
天の父は空の鳥を養われる。野の花を美しく装ってくださる。
それだから、まして私たちに良くして下さらないことはありません。
主イエスを信じて天国の希望を持ち、私たちがやがて天に召される日まで、必ずこの世での生活を支えてくださる。大きな神の愛を信じるのです。
さらに、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)との勧めを覚えましょう。
神の国とは死んでから行く所ではなく、神のご支配のあるところです。ですから、キリストを信じる者は生きている時も、召された後も神の国に生かされています。神の義とは神の正義、正しさです。
神の正しさは、聖書の言葉によって分かります。
神の言葉を信じて、そのように生活することが神の義を現わす生き方なのです。
詩編103編には、「わたしの魂よ、主をたたえよ。 わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。 主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐みの冠を授け 長らえる限り良いものに満ちたらせ 鷲のように若さを新たにしてくださる。」とあります。
(詩篇103:1−5)
信じる者は、主の限りない恵みの中に生かされることが約束されています。
キリストを信じ、救われた者は生きている時も、召された後もキリストと共にあることを感謝します。
私たちの信仰の生活は、競技場で全速力で走り続けているようにたとえられている、聖書の箇所があります。
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨てて、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」(ヘブライ12:1―2)
先に天に召された預言者、使徒たち、信仰を守り通した昔のクリスチャンたち、あるいは私たちの召された家族、友人たちが証人として、競技場に集まり、見守っているという表現です。
競技をするのに、邪魔なものがあります。重荷や、絡みつく罪です。
それらを負ったままでは走り通すことはできません。
それらは主イエスの十字架で赦されて、はじめて走り通せるのです。
走り通してゴールインした人には、何が与えられるのでしょうか。
「栄光の冠」、「義の冠」が待っています。
パウロは、キリストの福音を、全生涯をかけて伝えました。福音のために投獄されて、処刑を待たなければならない日々が続きました。
しかしパウロは、自分には義の栄冠が待っていると宣言する事が出来ました。
「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(Uテモテ4:8)
パウロは信仰によって、この世にある時も、召された後も神の国に生きていることを確信していました。
召された時には、これ以上ないほどの栄冠が待っていることを知っていました。それは、パウロだけではなく主イエスを信じてひたすら待ち望む、すべての人に与えられる栄冠です。
主イエスは、永遠から永遠に生きておられる救い主です。
私たちの全てを御存じで、愛してくださり、過去も、現在も将来も守り導いて下さいます。
世の中のものはすべて移り変わります。決して変わることがないもの、それはイエス・キリストと、その御言葉です。
最後までこの方に従い通した信仰の先輩たちの姿勢を思い返し、私たちも、変わることのないイエス・キリストにより頼みながら、許される限りこの世の歩みを信仰によって全力で歩み通しましょう。


今週のみことば
「イエス・キリストは、きのうも今日も、
 また永遠に変わることのない方です。」
 ヘブライの人への手紙13章8節


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