三浦綾子読書会 レポート
テーマ「裁きの家」
三浦綾子著
廣瀬利男(2014.11.22.読書会より)

三浦綾子は、朝日新聞社創立記念1千万円文学賞を小説「氷点」によって受賞し、朝日新聞に連載されて脚光を浴び、1965年「氷点」が出版されると70万部のベストセラーとなる。その後、本格的な作家活動に入る。その後、「ひつじが丘」 主婦の友社 1966年講談社文庫、「積木の箱」 朝日新聞社1968年、「塩狩峠」 新潮社 1968年、「道ありき 」主婦の友社 、「道ありき わが青春の記 」1969年新潮文庫、「この土の器をも わが結婚の記 」1970 新潮文庫、「光あるうちに 信仰入門編」 1971年新潮文庫、続いて「裁きの家」 集英社 は、1970年の著作である。
 「氷点」は、人間本来の心の本質を問う作品であり、そのテーマは、「原罪」である。人生の宿命のような人間の絆から派生し、浮かび上がってくる人生の事象を通して、人間を拘束する罪の問題を投げかけ、それを問う作品である。救いようのない人間性、この世の現実への問題提起で終っている。やがて1971年、「続氷点」が、自殺に終わろうとする終末から、キリストに出会うことでの再生をもって始まる。その「続氷点」の前年に「裁きの家」が出版されている。
 「裁きの家」は、「氷点」の内容を、現代の家庭での人間関係から改めて洞察している作品である。人間の最も深く、濃いつながりを持つ家族間の葛藤を見事に浮き彫りにし、人間の心の深層に触れて、「人間の自己中心」をテーマに、「裁く」ことの悲劇、その現実から生まれる人間模様を描き、問題を投げかけている。
 「氷点」が出版されて後は、「塩狩峠」や「道ありき」などの、三浦文学の基本的な類型である「奉仕の文学」、すなわち「福音を証する」文学の本流を提示する作品が著されている。1970年、漆喰の闇のような、解決の出口のない人間関係の欲望の駆け引きの現実を提示する作品、「裁きの家」を書きあげている。そして1971年、「続氷点」を出版する。
 小説「裁きの家」は、ドラマのような通俗的な愛欲のしがらみを描いたもので終わってはいない。そこには福音を待ち望む現実の人間の実存が提示されているのではないか。人間として、このような生き方、考え方はどうなのであろうかという問いかけがそこにある。「考えてほしい」という作家の問題提起である。
 小田島家という家族、長男博史とその妻滝江、息子清彦、そして弟夫婦、謙介と優子、その長男修一、次男弘二と姑クメ、この二家族を巡る人間関係と、息子たちの家庭教師で滝江の愛人北野、そして難病の妻を持つ吉井とその姪関子という限られた人々を巡って起こる話題を中心にストーリーが展開されていく。
 「裁きの家」という題が象徴的である。博史は大学教授であって、滝江は袋物のデザイナーとして経済的にも夫を上回る収入がある妻であった。謙介は平凡であるが、商社マンとして家を構えている。その妻優子はささやかな家計をやりくりする家庭婦人である。教養もあり、経済的な余裕のある長男夫婦の家には、クメという母親が同居している。経済的にも、世情の感覚から見ても幸せそうな家族である。
 家があり、経済が保証され、健康な家族に起こる悲劇と家庭破壊はどこから起こるのであろうか。人は生い立ちの中で様々な形で個性が形成されていく、このストーリーの中心は、滝江の性質と行動が周囲を混乱させることである。清彦の家庭教師北野と、滝江の密会を優子が目撃することが問題のきっかけとなる。優子が夫謙介にそのことを告げると、それが母クメに伝わり、滝江との間が気まずくなり、クメは滝江に体よく追い払われ、謙介の家に同居することになる。滝江は、デザイナーとしての自信と経済的な余裕から、博史との夫婦関係に飽き足らずに、出会う男に情感を感じると魅かれ、行動に移す奔放な性向として描かれている。夫の弟謙介にも思いを寄せて関係するのである。そして袋物問屋の取締役吉井に心を寄せるが、全く関心を示さない。その吉井に優子が心引かれているのを見通して唆す(そそのかす)。しかし、優子は心に思うだけである。それだけでなく、滝江は北野を家庭教師として弟の家庭に入り込ませて、あろうことか北野に優子を誘惑させ、接吻を許すかどうかに金をかけるのである。息子清彦は、そのような滝江の言動に、母を嫌悪し、距離を置くようになる。盲腸のために入院して手術をする日も、滝江は仕事を口実に深夜まで来ることはなく、さほど心配をする風でもなかった。実は北野と一緒に過ごしていたのだ。清彦はこのことを境に、滝江に対し不信と憎しみに心を閉ざしてしまうようになる。やがて支笏湖のホテルで滝江と謙介が密会することを知り、雪道を自動車で行く滝江を事故死させようとブレーキオイルのパイプを断ち切っておく、そしておそらく20分程走った所の坂道でブレーキをかけるだろうと予測し、そこへ自分の身を投げ出して死のうと決意して待機する。しかし、夫の洞爺湖行きを知った優子が滝江の元を訪問し、滝江の自動車に同乗することになってしまった。そして自動車は走り出し坂道に差し掛かる。滝江はブレーキがきかないことにあわてて、側道につまれた雪の山に突入し、車は横転する。滝江は投げ出されて助かり、優子は死ぬ。清彦はそれを見て呆然とし、坂下に向かって叫びながら走って行った。そして物語は終わる。
 ストーリーの中で、修一と弘二が人間の異性への興味を巡って会話し、修一がしたい放題好き勝手な事をするという事が「自己主張」であり、「自己主張の果ては死である」と本に書いてあったと言う。修一は弟に、「女の裸が見たいとからといって、無理やりに裸にしたらどうなる。…したいからといって、したいことをしていたら、人間はどうなる。体も心も滅茶苦茶になってしまうよ。金が欲しいからって、強盗したり、殺人したりするのと同じさね。自己主張の果ては死、っていい言葉だろ。」(p197)と言っている。この物語は「自己主張は死である」という言葉が鍵となり、それが作者の意図するテーマであると言える。
 
優子は吉井の妻が筋萎縮症という難病で入院しており、それを優しくいたわる吉井の姿を偶然目撃し、改めて自分の抱いていた劣情を恥じるのである。滝江の度重なる誘いにも乗らず、冷静に行動する吉井の心の背景には、難病で苦悩する妻への同情と誠実な愛が描かれている。試練と苦悩の中にあってもなお人間本来の在り方をそこに貫いているのが吉井の姿勢である。されど関子のドライでセクシーな振る舞いが、修一との対話の中で晴れやかになっていく姿を見る。逆境の中での吉井の潔癖さと、妻を愛する心根の優しさがこの物語の希望となっているようである。
 欲と情で行動する滝江の、人としての理性や知性の片鱗も感じさせない描き方に、小説だからと言って割り切って考えることができるだろうか。人生の裏、無法の世界、ゆがんだ世相の流れと特殊な背景でしか考えられないと言えないだろうか。
 しかし、これは三浦文学の提示する、隠された人の心にある「自己中心」「罪」の現実である。優子という優しい名前をもった人格の中にも、姑クメに対する疎ましさや言動を憎み裁くという心があった。優子は気づかないうちにクメの「死」を願う自分に気付き、人とは何と恐ろしい気持ちを持つものかとしみじみ思ったのである。

「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。…そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。・・・わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ロマ7:15−24)



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