三浦綾子読書会 レジメ
テーマ「天の梯子」
三浦綾子著
(2012.2.18.読書会より)
テーマ「天の梯子」―祈りの世界を巡って―

1、「祈りの姿」 「祈る」ことへの問いかけ。人間の本質的な姿を問う。
美しい人の姿、「祈り」。何に祈っているのか。神とは何か。「困った時の神頼み」が祈りか。祈りの本当の意味とは。「神の子の呼吸」霊的な命の流れである。

2、「神との対話」誰に祈っているのか。祈りは神様を知って祈る。
@感謝の祈り。生かされている。恵みによって生きている。そこに感謝がある。
A懺悔の祈り。神様の前に出られない自分。神様の清さが分からないと自分の醜さを自覚できない。B仕事のために祈る。 C執り成しの祈り。

3、「父なる神」“祈りのノート”の必要。痛みを共にされる神。信じ続ける―祈り続ける。
「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ福音書11:24)祈りは信仰の確信である。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル11:1)祈り前に気持ちー赦す事。「立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」(マルコ11:25)

4、「病めるときに」p55、癒しの祈りだけでいいのか?新興宗教のお陰信仰の会話。病気とは死ぬことである。死について考える事は生について考えることではないか。信仰をもつことの大切さ。病気の癒しと信仰の問題。神の御心に生きる。

5、「死について」死の悲しみ。自然な人間の情感である。クリスチャンは死を喜びとして迎えると言う。生きることの意味、人への語りかけ、「塩狩峠」のメッセージ。生きることへのメッセージ。

6、「嬉しい時の神だのみ」順調な時に祈らないのでは?懸賞金受賞の喜びと感謝。そこには苦しんでいる人、悲しんでいる人がいる。謙遜と誠実を思う。苦しみの時と同じように喜びの時も祈る。

7、「神、我らと共にあり」仏教のような念仏はキリスト教にはないのか?「インマヌエル アーメン」称名、主は共にいる、しかり本当です。祈りの長さ、真実の言葉、祈りは長短ではない。「射?」短く繰り返す。祈り続ける。

8、「主の祈り」

9、「汝、審くなかれ」祈る人の条件。祈れる人について。「我らに罪をおかす者を我がゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」(マタイ6:12)自分のお罪を自覚する。人間の原罪。互いに和解、赦し合って祈る。(マタイ5:24、マルコ11:25)
赦すことから始める。懺悔の祈り。

10、「サタン」過ちを犯さない人はいない。「我らをこころみにあわせず、悪より救いだし給え」(主の祈り)試み、試練に会う日々である。誘惑でもある。サタンの実在を認識することへの警告。欲情、欲望は人の本性である。心よく、魅力的である。それを意識するか、しないかは人の問題である。祈る人に大切なことは、その弱さ、未熟さを自覚することの大切さである。

11、「神は生きている」祈りは習慣的である。諦めることが多い。祈る目的を諦めてはならない。神様は生きておられる。祈りによる体験的理解こそ大切である。祈りは神様が現実に生きておられる事を経験することである。祈りは聞かれる。

12、「祈りは世界を変える」長尾巻牧師の祈り、開拓伝道の現実と祈り。「絶望しない祈り」―「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じた。」(ロマ4:18)。「信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」(ロマ4:20,21)賀川豊彦と長尾牧師の祈り、中国の蒋介石の行為と戦後日本の経過、祈りが世界を変える。
愛は語ることでなく、行うことである。愛することは祈ることである。

「祈る」ことがどのように小さくても偉大な結果を生む。

イエスは言われた「はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ17:20)


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