イエス・キリストを信じた恵みをエッセーに・・・

「不思議な人生の転機」

梶本好子


 
 1959年6月14日(日)は、私にとって生涯忘れる事のできない日です。この日、妹に誘われて初めて教会の礼拝に出席致しました。

 「また群集が飼う者のない羊のように弱り果てて、
  倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。」(マタイ9章36節)

 私は7人兄弟の二番目で長女として1934年にこの世に生を受けました。生まれつき体が弱く、大変消極的な性格でした。「でした」、と過去形なのは、そんな暗い、いやな性格が、イエス・キリストを信じる信仰によって、積極的な性格へと変えられたからです。

 私の青春時代は、辛く、苦しいところを通りました。父の仕事の行き詰まり、両親の不和、家庭の中の愛は冷え、家族が一つになれない、顔があえばいがみ合い、家が大変な時こそ家族が協力して助け合わなければいけないのに、それぞれが自分さえよければと、自己中心、そんな日々の中で、私ほど不幸な者はいない、それもこれも全ては親の責任と、親を恨み、兄弟を恨みました。

 そんな毎日に心の休まる時はありません。両親は私を親にむかって口答えをしない素直な良い子、でも何をさせても下手でのろま、と見ていました。私は心の中で反発しました。その結果、なお一層親を憎みました。私など生まれなかった方が良かったと、いよいよひがんだ性格になりました。

 そのような状況の中で、妹がイエス様を信じて性格が全く変わり明るくなったのをみた母が私にも教会に行くように勧めてくれました。それが1959年6月14日です。初めて出席した集いで、なんか、緊張しましたが、「飼う者のない羊が弱り果てて倒れている」という聖書のことばが、なぜか心に残りました。

 そうなんだ、飼う者がいなくて弱り果てて倒れている羊は私なんだ。飼い主のもとに帰らなければ、罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じ受け入れました。

 もちろん、イエス様を信じたからといって生活の思い煩いや、苦労がなくなったわけではありません。
しかし、どんなときでもキリストによって希望が与えられ、前向きに人生を楽しむ事ができるようになりました。

 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。
  これによってわたしはあなたのおきておきてを学ぶ事ができま した。」(聖書)




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