イエス・キリストを信じた恵みをエッセーに・・・

「御言葉に出会い、恵みに生かされて」
垣花 敏一



24歳の時でした。腰を痛めて手術を目前にした私は大海に浮かぶボートのように孤独と淋しさで枕を涙で流しました。この時、だれにも迷惑をかけずに死ねたらという思いで苦しみました。
 思えば病気で医者に掛かることもなく過ごして来ただけに、この機におよんで自分には身内もなく、一人ぼっちの前途を思い悩んでいたのです。
 当事の私の仕事は三菱電機の大阪営業所販売推進課のサービスカーの運転手でした。いつも同乗して商談に行くのは渡辺さんでした。渡辺さんが訪問した店で商談している間、本を読んでおりました。腰の手術を受けた数日後、渡辺さんは会社の図書を数冊持て来て下さいました。その中に「私の履歴書」という本があり、著者、市村清氏の書かれた文章に、次の様な聖書の御言葉がありました。「だから言っておく、自分の命のことで何を食べようかなにを飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたの内だれが思い悩んだからといつて、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな、それはみな異邦人が切にもとめているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書6章25〜34節)この言葉で私の心は呼び醒まされました。「神のなさることはすべて時にかなって美しい」(伝道の書3章11節)とあります。この時、この御言葉に出会わなければイエスキリストの恵みの救いに至ることはなかったでしょう。なによりもまず神の国と神の義を求めなさい。これが信仰生活の信条となって現在、72歳を数えます。青年時代、壮年時代そして、今、老年期を迎え、今も元気で養護福祉施設で奉仕が出来ることを感謝しています。聖日礼拝、木曜日の祈祷会に参加して受ける恵の深さを受けて、幸せを実感し、感謝しております。      




ページのトップへ
あかしリストへ
阪チャペ!へ
トップページへ