イエス・キリストを信じた恵みをエッセーに・・・

試練の中で

Y・T




見えない神のみ手

 私の教会の名は「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド」という名称ですが、その意味は「神に召された者の集まり」だそうです。これまでの歩みを振り返ると、時により私は神のお招きを受けていたのではないかと思います。

 幼いころ、母の子宮や卵巣に腫瘍が出来合計7回の手術をしました。のるか反るかの手術の時に、愛知県の刈谷ルーテル教会で父と牧師さんと、母の無事を祈りながら待ったこともありました。

また、兵庫県養父郡八鹿町では、英語教室で知り合った八鹿ルーテル教会の皆さんに助けて頂き、全く知らない夫の赴任地での2年を過ごすことが出来ました。八鹿で長男の出産を迎えたのですが、ベテランの医者が、見たことも無いほどの難産でした。私も命がけでしたが、子どもが仮死状態で生まれた時、「神様、子どもを助けてやって下さい。」と、心の奥底から叫んでいました。
とはいえ、喉もと過ぎれば、私は神様を信じようとする気持ちになり切れてはいませんでした。


試練がチャンス

 最初の変わり目は、今から7年ほど前でした。長男が交通事故で右足の靭帯を切断しました。救急車の搬送に間に合い、共に乗り込んだ救急車の中で、骨が出ている足を見て、「神様、助けて下さい。」と祈りました。担当医が70針で針の数を数えるのを諦めてしまった手術に付き添い、この子が歩けるようになったら何も要りませんと乞い願いました。ふと、こういう時"神様"って誰なのかしら?と思ったのです。


洗礼の喜び

 一昨年、本当に厳しい試練に出会い教会に導かれ聖書を通してキリストに出会い真実の神様を信じ洗礼を受けました。
 危機に瀕して、困り果てた時、理屈抜きで助けて下さるのは誰か?こうやって頑迷な私の肩を、とんとんとたたいて下さったのかと今はよくわかるのです。今の平安が嘘のようです。

 「あなた方を試みるために降りかかってくる火のような試練を、
 何か思いがけないことが起こったように驚き怪しむことなく、
 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。」(ペテロ1 4:12−13)

 このみ言葉を、反芻して深く自分に沁みこむようにと願っています。
  




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