聖書のエピソードをもとにかかれたエッセーです

By K. Kakoi

旧約聖書面白散歩

人類の創成(創世記2章7節)


 さて、前回は天地創造のお話だった。その時は人間も「6日目に神は人を創られた」と一言で終えられているが、実は次の章に補足説明が付いている。

 神は人間以外は一言で万物を創世している。ところが、人間だけは例外なのだ。人間は言葉だけで生まれたわけではない。1章では「われわれのかたちにかたどって人を造ろう」といい、そして「神は自分のかたちに人を創造された」とあり、ここだけでは、どうやって人間が形創られたのかわからない。そして、1章で一旦天地創造の話が終わったかにみえる。

 が、ふいにその次の章で人間がどのようにつくられたか具体的に記述されるのだ。こうである「主なる神は地のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた」なんと人間だけは、神自らの手作りというわけである!しかも、鼻に息を吹き込むという凝った事までして!

 「えー、地のちりから!?」そんなしょーもないものから生まれたのか・・いやいや、そういう思いも無きにしもあらずだけれども、死んだら人間は確かに土に戻るしなあ・・・納得!?

 実は私は人間の中身(内臓とか)がめちゃめちゃ苦手である。『人体解剖図鑑』なんてものが、昔なぜか家にあって、1人で留守番した時なんか、そっちの方向には絶対目を向けないとか、いろいろ大変だった。しかし、その気色悪いもんが私の体に詰まってて、私は生きてるわけだから・・・理不尽だ。

 しかし、見た目では無く、その機能に眼をむけると、それは実に芸術的!というか、神以外ではこんな創作は出来ないだろう。人間の知力を超えた芸術作品である。私は宇宙と自分の体に眼を向ける時、「神はいる」と認めざるを得ない気持ちになる。(どお?)

・・・・実は神様も、人間を造るのはけっこう苦労したんじゃなかろうか?
じゃ、なかったら同じ創世記の中にわざわざ2ヶ所も同じことを書いたりしないんじゃないかな、と思ったりするのである。

 せーっかく、そこまでして造ってもらった存在なんだから大事にしなきゃ。

ねっ!




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