聖書のエピソードをもとにかかれたエッセーです

By K. Kakoi

旧約聖書面白散歩

エデンの東


 創世記3章には、人類最初の罪による失楽園の物語がある(旧約聖書散歩 その1 参照)。この人類最初の罪は、信頼の裏切りであった。

そして、その裏切りを隠す為の小さな嘘と責任転嫁。人類の祖、アダムとイブの心の中に落ちたこの罪の種は、その後どう育ったのか・・・。

 今回は、彼等の子供達の話である。兄の名はカイン。弟の名はアベル。2人がどんな育ち方をしたのかはわからないが、成長して兄は農耕をするものとなり、弟は羊飼いとなった。

神様に捧げ者を持って行く日になり、彼等はそれぞれの仕事で得た物を携えて行った。「カインは地の産物を持ってきて、主に供え物をした。アベルもまた、その群れのういご(初子)の肥えたものを持ってきた。」

 さて、神はどちらの贈り物を喜んだか?・・・弟の方である。なぜ弟なのか?という問いに対して、「イスラエルの神は羊飼いの神だから、弟の職業に好意的であった」という解釈があるらしい。

しかし、それは違うと思う。よく読むと、弟は“群れの初子”かつ、“肥えたもの”、つまり一番良いものを持ってきたとあり、対して兄は単に“地の産物”を持って来た、となっているのである。

 例えば、好きな人に贈るプレゼントを選ぶのは楽しい。そして、できるだけ良い物を選びたいと思う。反対に義理で贈り物を選ぶとしたら・・「ま、いっか。こんなところで。」という感じであろう。

兄と弟の2つの捧げ物にはそのような歴然とした差があったのではないだろうか。神は愛情のこもった捧げ物を喜び、そうでない方には、さほど興味を示さなかった、というそれだけだったのではないかと思う。

 しかし、人間は勝手である。自分は真剣に選ばなかったとしても、「せっかく、あげたのに喜ばれなかった」のは不当だと思ったりする。

 兄の心の中を見て取った神は彼に注意する。「罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません。」---

-----怒ってるのはわかるけど、その感情をキチンとコントロールして、それ以上の憎しみを募らせてはいけないよ・・・・。(と、言っている)ところが、憤りと憎しみを募らせ、感情を爆発させた兄は弟を野原へ呼び出し、誰も居ないところで弟を殺してしまう。人類史上最初の殺人は、兄が弟を殺すというショッキングなものであった。

 誰も知らない筈のその罪を、神は兄に指摘する。指摘されて、兄は最初はシラを切っていたものの、神との対話の中で、殺人がいかに重大な罪であるか気付き、真剣に許しを乞う。神はそんな兄を哀れみ、彼に一つの印をつけ、エデンの東の地へ去らせたのである。

------アダムとイブの中に落ちた罪の種は、人類誕生からたった二世代の間に“憤り”という芽を出し、“憎しみ”の葉をつけ、“殺人”という大輪の花を咲かせたのである。

そして、アダム以来、人間は生まれ落ちた時、すでに心の中にこの罪の種を宿している者となったのである。

 この罪の種をいわゆる“原罪”と呼ぶ。

 余談ながら、ジェームス・ディーンの主演の映画「エデンの東」のタイトルはここから。
 いっぺん観てみてね。(^。^)




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