幸せな未来に向けて       
    廣瀬晴代

5歳か6歳くらいの幼い女の子に、大きくなったら何になりたいかと聞くと、恥ずかしそうに「お嫁さん」と答える。幼い心に漠然としてはいるだろうけれど、お嫁さんイコール幸せ、という観念ができているようである。もっとも結婚式のウエデイングドレスがお姫様のように映っていて憧れているだけかもしれない。ただ、幼い心にも、結婚して家庭をもったらそれは幸せなのだという意識があるという事に大人は注目すべきではないだろうか。家庭が平穏であり、両親(あるいは母親か、父親のみでも)がしっかりとしたバランス感覚をもって家庭を治めていてくれたら子供にとってもこれほど幸せなことはない。家庭は幸福というものを醸し出す母体なのである。大人にとっても子供にとっても一歩外に出ればさまざまなストレスの原因となるような事が沢山ある。でも、家庭に帰れば慰めがあり、励ましがあり、明日への力が湧いてくるなら、それは本当にすばらしい家庭であろう。

 さて昨今、子供を不幸にするために生んだのではないかと邪推したくなる親の存在が気にかかる。あるいは、子供のことなど気にかける余裕すらなく、自分のことしか考えられないといった親もいる。自分自身も育てられたという記憶がないので、子供を育て養うことができないのかもしれない。聖書によれば、人は神のかたちに似せて造られた霊的な存在である。だから食べ物だけ与えても、心と魂を養わなければ子供は育たないのである。食物は沢山与えられているので体は太っているが、心の栄養は足りないらしく、落ち着かず、物事に集中できず、まったく聞きわけることのできない子供が大勢いる。彼らは将来どうなるのか?大げさな言い方かもしれないが、彼らが大人になった時、日本という国はどうなるのかと心配になってくる。親たる者は子供の心と体を養い育てることに真剣に取り組まなければならない。それには、確かに自分が生んだ子であるが、自分の所有物ではなく、神から委ねられた子供であるといった、神を畏れる敬虔な思いが心の中心にあるべきである。神がその子を委ねられたのは、その子を立派に神のみ心にかなった子供に育て上げてほしいという神の思いがあるのである。まず親が心にいつも余裕を持ち、平安な心であることが必要となる。子供はいつも敏感に親の心の状態を察知する能力を持っている。

 親がいらいらしたり、不安であると、それはそのまま子供の状態になる。また、親は正しく取捨選択できることが大切である。少子化の影響で目が届きすぎるし、欲しがるものは与えてしまう傾向がある。何を与えるかより、何を与えないかをしっかりと選ばなくてはならない。子供の躾はまず親の躾である。子供は親を見て成長するのである。

 さて、神と人とに愛され育まれる子供は幸せである。神は等しく愛してくださるが、人が愛してくれる存在になるには、自分中心はだめという家庭教育であろう。思いやりの心を育てていく事である。おいしいお菓子が一個あったら、独り占めするのではなく、分け与える事ができる心である。物心つくまえから他の人を意識し、心を使うという事が本当に大切である。もう少し大きくなったら、自己犠牲の心を打ち込む。人を愛し、心を使うには自己犠牲がともなうのである。恐れる事なくそれを打ち込んでいくなら、あなたの子供は間違いなく幸せな子供として祝福の基いとして人生を歩むことができる。

 心の養いの食物がいる。聖書の言、神の言は大人であろうと、子供であろうと、その心を養う唯一の命の糧である。