「復活信仰と日本の文化」


阪神チャペルセンター  廣瀬利男

素晴らしい復活の希望と喜び

復活祭はキリスト信仰の中心的核になる出来事、イエス・キリストの復活を記念し、祝う時です。キリストが復活されたことは神の御力の証しでありました(ロマ1・4)。キリストは私たちの罪を贖うために十字架に死に、死と罪に勝利するために甦られたのです。キリストは生ける神であり、信じる者を永遠の命へと導かれるのです。そしてキリストを信じる者を、新しい栄光の体によみがえらせて下さるのです。(Tコリント15・44)誰にでも死は訪れます。人は、消滅と別離という謎に包まれた人生の最後を迎えます。しかし、聖書は「死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」(Tコリント15・56,57)と言っています。死は罪の結果であり、言い換えれば人は罪を犯さずには生きて行けないのが実存です。「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」(ロマ7・24) この問いの回答は「今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。」(Uテモテ1・10)という言葉で明示されています。

日本文化の形成と現実

現在の日本の社会においては、家族、家庭の崩壊が深刻な問題となっています。たとえば、「葬式はいらない」という風潮が広まり、遺骨の海上散布、空中散布、直葬などといった考え方の変化が広まってきました。人間の尊厳が軽んじられ、霊性は果てしなく混迷していると考える事ができます。日本の文化習俗の大きな転換期にあります。
日本の習俗文化の根底は神道と仏教にあります。弥生時代に稲作が大陸から入って来て、災害と激しく変化する気候の中で、春には豊穣(ほうじょう)を祈念し、秋には収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が行われるようになります。自然への畏敬と災害の恐怖から不安が「厄(やく)や祟(たた)り」の心情となり、宗教性として根深い民族的霊性となりました。まさしく自然環境の中から形成された生活であり文化であるといえます。日本古来の神道の神は自然であり、社は神の霊が宿る場所であり、偶像でなくシンボルがあるのみです。言い換えれば、山に里に全ての自然に神が宿り、八百万の神とは自然が神です。日や月、山や滝を拝み、祖先の霊を祀ります。
飛鳥時代に仏教が朝鮮半島から渡来し、当時の豪族に影響を与え政争になりました。蘇我氏が実権を握り、仏教の教えで政治の仕組みが出来るようになりました。そして本地(ほんち)垂迹(すいじゃく)により神道の神々は仏の化身とされ、神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう)の文化となりました。
奈良時代には、仏教は天皇や貴族、豪族のものであり、政治の手立てでした。仏教を中心にした政治勢力の闘争が平安遷都となり、遣唐使によって新たな仏教の経典がもたらされ、平安仏教が生まれました。特に空海の密教は護国加持祈祷を通して庶民の仏教として広がるようになります。この影響は源信の念仏思想により、法然と親鸞によって平安末期から鎌倉時代にかけて庶民に浸透していきました。本来、仏教では女性は汚れた者として救いはないとされていたものを、親鸞は他力本願の道を説き、あらゆる階層の人に仏の道を開きました。日本に仏教が定着した大きな出来事でした。

仏教の浸透とその変化

江戸時代になり、キリシタン禁令の徹底的な取り締まりのために寺請(てらうけ)制度が実施され戸籍、移動、結婚などの登録を村単位で強制されようになります。寺は行政に組み込まれ、それが檀家のあり方になりました。幕末の大政奉還に伴い、国学神道の台頭により廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)がなされ、多くの寺院が破壊され、寺請制度は神社に転換されました(明治6年廃止)。第二次世界大戦による敗戦後、農地解放により寺院の所領は全てなくなり、寺院の経済維持は葬式に頼るところとなり、葬式仏教に変質しました。こうして、社会的混乱の中で密教の加持祈祷の伝承をもつ日蓮宗派を中心に新興宗教が起こりました。ともあれ、神道と仏教の輻輳(ふくそう)した習俗は、誰でも死んだら極楽に成仏できるというものです。本来の仏教では考えられない、彼岸と此岸を行き来する自然の存在を仏とし、神とします。日本仏教は究極的な道を求め、様々な宗派が成りたってきました。現在日本人は、誕生後の祝いは神社、結婚式はキリスト教、葬式は仏教という通過儀礼に矛盾を全く意識しない習慣をもっています。外来の文化を受け入れて、独自の自然観を土台にしながら、変貌と発展をしてきた文化こそ、日本の独自性であると文明評論家ハッチントンは指摘しています。
日本は現在、世界に冠たる福祉、科学技術、経済国家です。「宗教の役割が、豊かさと幸福を目指す」ことであれば、世界中で戦争、戦乱がありながら、平安時代や、江戸時代に、平和を数百年維持した日本民族が築いた歴史と文化の根本は、神道と独自な日本仏教にあると考える事ができます。しかし、その根底は虚無(きょむ)であり、諦観(ていかん)(あきらめ)です。時に人の人格と命を無為にする冷酷、且つ悲惨な時もありました。

日本文化と宣教の課題

本来、歴史的に日本の社会の黎明期において、自然習俗の宗教観の上に、さらに仏教がもたらされて政治の仕組みが形成され、その後も、宗教に心情的な畏敬をもちながら、宗教は政治の支配下に置かれてきました。
このような歴史の流れの中で神道は皇室に伝承され、天皇の神格化の放棄にもかかわらず、治世の権威の象徴として今も国政の構図に足跡を残しているのです。近代化は啓蒙主義に始まり、合理主義と科学万能の現代社会では自然破壊と、進歩の超克が課題であり、自然との共和、共生の日本の文化が見直されています。しかし、創造の根源者である真の神が、神に似せて創造された人への、神の愛に基づく命と人格の尊厳は、何にも代えがたい聖書の啓示であるのです。
第二次世界大戦は悲劇の終焉を迎えました。連綿として続く人類の悲劇的闘争の歴史を通して、人間の尊厳、自由と平等、人間の命の大切さが福音を通して伝承されてきていると考えることができます。その尊さの根源である救い主に出会い、キリストに表された神の愛と救い、人生の真実の目標「永遠の命」、神の国の平和を伝えなければなりません。今こそ、真実の創造主を見失っている罪性を悟るように、また全人類を救うために“甦りの主”が遣わされたことを伝えようではありませんか。現在は宗教や文化の善悪、否定の論理ではなく、祈りと愛と忍耐をもって対話する福音宣教の時であるのです。


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