Gospel Concert in Autumn '09  

ゴスペルコンサート&メッセージ in オータム2009

2009年10月11日(日)午後2時

Gospel Messsage by Rev. Toshio Hirose


ゴスペル 福音賛美は時と国を越えて


ゴスペルのリズムと喜び

おお友よ,このような音ではない!
我々はもっと心地よい,もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(べートーベン第九合唱・An die Freude “歓喜について”の一節より)

 歌は友達と言います。心を打つ歌や調べは時代を超え、国境を越えて人々の心を一つにして歌い継がれます。ゴスペルは「福音」と言い“良き訪れ”“いい知らせ”という意味で“人々を幸せにする訪れ”とも言われます。ゴスペルは一般にニグロスピリチュアル・黒人霊歌から、より親しまれるメロディーとして感動と迫力に満ちた賛歌になってきました。ゴスペルはもっと広い意味でオーケストラと合唱が競演された第九交響曲などに源泉を求めることもできます。天地創造主なる神をたたえ、人が神の恵みのうちに生かされ
、兄弟が和合し、神の創造の知恵を賛美するシラーの作詞を土台にした雄大な調べです。

 今では、第九は欧州連合(EU)のシンボルの歌となっています。また2001年ユネスコの「世界の記憶」として世界記録遺産になりました(自筆資料・ベルリン国立図書館所蔵)。日本でも長野冬季オリンピックでは大会歌として歌われ、今日では年末になると日本中で第九交響曲が演奏されるようになって誰も知らない人はいないようです。

 第九交響曲は神に生かされている人間の喜び、偉大な自然に表された神の恵みと愛を歌い、人は友、和合による平和の喜びを歌い上げ“諸人よ、ひざまずいたか、世界よ、創造主を予感するか、星空の彼方に神を求めよ、星々の上に、神は必ず住みたもう”と最後に歌っています。 ベートーベンは1770年に生まれ、音楽家の父から音楽の手ほどきを受け、小さいときから才能を引き出されて華やかな社交界で活躍をしていましたが、31歳のころから聴力が減退し難聴になりました。

音楽家として致命的な衝撃に希望を失い、苦悩の中で煩悶しました。その翌年、とうとう音楽家としての創作が無理と思い込み、自殺を思いつめて遺書を書いたのでした。つのり行く致命的な病と闘いながら悲劇の只中にあって聴音器で何とか聞ける小さな音に勇気付けられ再起を試みようとしました。何とか苦悩を克服し、作曲活動に挑戦するようになりました。キリストにあらわされた神の愛と永遠の命に生きる道へと目が開かれてきました。キリストが死から甦り、エルサレムの東のオリーブ山より天に凱旋される希望の信仰に支えられてオラトリオ・「オリーブ山上のキリスト」を書き上げるのです。

苦悩と戦いながら第3ピアノ協奏曲やバイオリン・ソナタ“クロイッエル・ソナタ”を創作し、さらに豪壮極まりない交響曲第3番“エロイカ(英雄)”がその夏に書き始められ、数々の作品が生み出されます。そして完璧な交響曲と言われる第五交響曲“運命”を完成しました。そしてベートーベンは巨匠として衆目の認めるところとなったのです。ベートーベンは家族に恵まれず幾度かの恋にも破れ独身ですごし、若い日から家族を助け、残された甥カールの後見人となり彼の不行状に悩まされ、かつ、カールの母親の軽白な性格に苦しむことになります。48歳ごろ聴音器でもまったく聞こえなくなり、筆談でしか意思が通じなくなりました。計り知れない苦悩と絶望に再び落ち込むのです。

“神はわれらの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる”(詩篇)苦難の中に、試練の中に、絶望の中で神の愛と助けに希望を見出し、音のない世界で音を組み合わせ、心の中に生きる喜び、生かされる喜びをシラーの詩に支えられて書き上げられたのが「歓喜」“An Die Freude”合唱第九交響曲であったのです。この名作が人々の心に慰めと勇気と感動を与え、諸国、諸民族、国境を越えて不朽の名作となっています。その名曲は人々に平和と愛のゴスペル・福音として歌われるようになったのです。

 1824年5月7日、ウイーンのケルトネル門劇場で第九交響曲合唱(歓喜)を初演するのですが、耳の聞こえないベートーベンでしたが指揮台に上がり全身からほとばしり出る情感をこめて指揮を取ったのです。後ろでは宮廷楽長のウムラウフが指揮を取っていました。一時間半の演奏が終わりました。劇場は壮大な曲、合唱の「歓喜」が感動の渦となり拍手の轟が続きました。

しかし、べートーベンは演奏がうまくいかないで失敗だと思い込み、うしろを向いたまま棒立ちになっていました。見かねたアルト歌手のカルリーネ・ウインガーがベートーベンの手を取って会衆の方に向かわせたのです。なおも高鳴る拍手に第2楽章がアンコールで演奏され、2回のアンコールにも拍手は鳴り止まず幕を閉じたのでした。

1827年3月26日57歳の生涯を閉じるまでの数年間になおも多くの作品を残しています。音のない世界で人々に感動と勇気を与える壮大な作曲をなしえたのは奇跡としか言えません。どんな境遇にあっても神にあって生きる意味と使命に生きる時、人は希望に支えられて生き抜くことが出来るメッセージをベートーベンは残しているのです。今もベートーベンの第九交響曲「合唱」(歓喜)は人々の心をひきつけ、神の愛と恵みをたたえる”喜び“として、その歌声と共に人々の心に生きつづけているのです。

 なぜ第九交響曲が時代と国境を越えて人々に愛されているのかと申しますと、生きる勇気と感動を与えているからと言われます。

第一に、苦難と孤独の人生の歩みの中でも生きる喜びと希望を与えてくれるからです。ベートーベンはなぜ苦しみと悩みの中で“歓喜”の曲を書くことができたのでしょうか。聖書の中に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケT5:16―18)という言葉があります。ベートーベンはこの聖書の言葉に生きていたのです。“いつも、どんなときにも喜び、感謝する”ことは人間にできることでしょうか。

かえって毎日の生活には愚痴や悩みのほうが多いものです。“どんなとき”にもとは“例外なく“という事で感謝できないときも嬉しくないつらいときのも“喜び”“感謝”できるようにしてあげると言う神様の約束がそこにあるから喜べない時、苦しい時にも喜び、感謝ができると言うのです。聖書のはじめに“神ははじめに天地を創造された”(聖書、創世記)と記しています。

神様が天地を創造し、人が生きることができるように自然を整えられたと言っているのです。人は生まれて空気を吸い、自然からできる命としての食べ物を食べ、水を飲んで成長し、生きます。創造された神の知恵であり恵みです。それは「神が愛である」と言う証であるのです。人間は、神に愛されている存在であるのです。

 しかし、神様を認めないとき、人間は自分の力で生きているように振る舞い、自分の欲望に従って生きることになります。挫折や困難はしばしば絶望と孤独と不安になり、自暴自棄になりやすいものです。ベートーベンは苦難と絶望のどん底で「(真実の)喜び」について歌い上げ、感謝と喜びを歌うことができたのです。それは神様に愛されている。どんなときにも神が共にいて慰め、励まし、「できる」と言う信仰から生まれる希望を与えられたからです。

第二に、ベートーベンは歌います。“抱き合おう、諸人よ!この口づけを全世界に!兄弟よ、この星空の上に、父なる神が住んでおられるに違いない!”(「合唱」最後の一部分)神を認め、神の愛に目覚め、神の恵みを知るときにみんなが抱き合い兄弟姉妹になれる、平和の家庭が、世界が実現すると言うのです。

そしてこの神の愛を、この神の恵みを、分かち合い喜びに生きることを神は望んでおられると歌い、呼びかけるのです。その呼びかけこそが“よきおとずれ”“福音”神の愛を歌う“ゴスペル”なのです。ゴスペルを歌うだけでなく、どんな人生の試練の中でも「喜び」「感謝できる」生活を送ろうではありませんか。

真実の愛は時代と主義主張を越え、国境を越えて全ての人の心に届く平和のゴスペル、福音であるのです。



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