母の日のメッセージ
「母の愛と人を幸せにする愛とは

阪神チャペルセンター  廣瀬利男
思い出多い母の日
母の日は、アメリカのウエストバージニア州のメソジスト教会でアンナ・ジャービスと言う女性が日曜学校の教師をしていた教会で母の記念会を持ったときに始まると言われている。1908年5月10日、日曜学校で全生徒に赤いカーネーションを手渡した。これが最初に「母の日」を祝ったと言われている。1914年に祝日となった。世界では国々によって違う。ノールウエーでは2月の第2日曜日。3月21日(春分)はブルガリア、ルーマニアの東欧諸国、中東諸国。5月の第一日曜はスエーデン、スペイン、ポルトガル、5月8日が韓国。イギリスは復活祭の40日前の日。5月第2日曜日は日本、アメリカ、ドイツ、イタリヤカナダ。8月がタイ。10月がアルゼンチン。11月がロシアといったように違う。どこでもその精神は「母への感謝」である。人間の存在のあるところに母が居る。
人間は、一人、自分で生きていると想いがちである。ゴスペルに「君は愛されるために生まれた」というのがある。生まれるときの母親の陣痛は母にだけしかわからない。人の存在は母親の苦しみから始まる。人は、母の乳で育てられ、愛情に包まれて心の安心を養われる。人は愛されて育ち、人を愛することで生きるすべを知るようになる。子供には母が居なくては育たない。

人はミルクで育ち、心は愛で育つ

愛されない子は人を愛する人になれない。ミルクは赤子の体を育て、愛情は赤子の心を豊かに育てる。愛されない人は、愛を求めて生きる。愛情の欠乏は、自己愛を中心に生きることになる。愛情不足は不安定を生み、猜疑心と人間不信に陥り、人とうまく生きていけなくなる。自分を守るために愛するようになる。結果は自分の利益、満足、欲望を求める自己中心的な生き方になる。いつの間にか愛しているといいながら、求める愛になり、打算の愛に変質してしまう。それは欲望の愛である。それをエロスと言う。「母の愛は神の愛に最も似ている」と言われる。犠牲の愛、計算しない、報いを求めない愛である。神の愛を聖書の言葉、ギリシャ語ではアガペーと言う。親子、兄弟、友達の愛も多くの場合、犠牲を求めないのでそれをフイロスとう。しかし、母の愛は自分の子供に限定されているとも言える。人は、愛されて育ち、成長し、生かされる。しかし、愛が分からないままに生きることが多い。「親孝行をしたいときには親は居ない」とよく言われる。

母の愛と罪
わたしは少年時代、戦争で田舎に疎開して、そこで高校を出た。上京して大学に行った。中学のときに受け持ちの先生に誘われて家庭集会に導かれてキリスト教を知るようになった。東京に行って新しい教会に誘われて行ったとき、その話は「罪を悔い改めて福音を信じなさい」と言う単純な話であったが、「罪を悔い改めよ」と言われても、別に警察に捕まって前科があるわけでもなく、他人を騙して損害を与えたり、脅したりもしたことはない。なぜ、わたしは罪人呼ばわりされなければならないのか分らなかった。文句を言いながら家に帰り、示された聖書の箇所を読み返した。「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。…」(ロマ1:29−32)これを読んでもどれも自分には関係ないように思えた。しかし、一つだけが引っかかった。それは“親に逆らい”という言葉が鮮烈に心に刺さった。

母親の苦労が分らない息子
わたしは4歳のときに母に死に別れた。兄が6歳。父は、画家で西陣の帯地を描いていた。父には弟子も多く経済的には裕福で贅沢な生活をしていた。父は、一年後に再婚する。昭和14年である。その後、10年の間に4人の子供が生まれる。戦争とともに平和産業はなくなり、田舎に疎開をする。父は慣れない労働とたけのこ生活(着物を米と交換する)。両親はそのうちに健康を悪くする。赤貧の中で異母兄弟は憎しみ、特にわたしは母親を無理難題で苦しめる。本当の母親なら「優しい」はずだ。叩かれると、本当の母親ならそんなことはしないと恨み、反抗し、悪態をつく。母親は嫁ぐとき京都の人らしく立派な家財や沢山の呉服を持ってきた。
しかし、その呉服の一枚一枚を米と換えて着るものがなくなるほどであった。父も、多くの背広や贅沢な衣服を惜しげもなく食料に換えた。それでも6人の異母兄弟は食べ物の多い少ないで争いが絶えなかった。母は、京都の人でしとやかで優しい人であった。めったに怒る人でもなかった。しかし、わたしにとっては本当の母ではないという偏見があった。
東京のキリスト教会で「あなたは神の前に罪人だ」と言われても罪が分らなかった。

母の気持ちを理解して
しかし、「親に逆らうもの」という言葉が、心に刺さり、義理の中でどれだけ母親が苦労をし、あげくの果ては“リュウマチ”になって手足も動かなくなった。このことを思うと、その苦労に対する自分の人間として考えられない態度が、親不孝であり、「罪」であることが示され、次々と神の前に傲慢な自分の罪深さが示された。
キリストはどんな罪をも悔い改める人には赦してくださる。キリストは罪の贖いとして、十字架に架かって身代わりとなってくださったときかされた。神の徹底した犠牲の愛を知り、母親への感謝が込上げてきた。わたしは、その夏休み帰って母に罪を悔い、赦しを請うた。神の愛が分った時、母の苦労と愛が分った。母はわたしの好物の盆団子を作って待ってくれていたのである。
親子の繋がりの大切なことは、血のつながりより、戸籍の問題より、真実に愛に結ばれているかどうかである。それは、夫婦も、兄弟も、友情も同じであるといえる。「人は、愛によって生きる」。真実の神の愛による愛こそ人を人とする絆であるといえる。聖書は「真実に愛し合うところに真実の神がおられる」(ヨハネT、4:12)と言っている。そこに家族の幸せの鍵がある。

高原芳郎さんのことです
高原芳郎さんの祖父の家業は植木屋であった。彼の幼少の頃から女性関係で父母の夫婦仲が悪く、小学校に入った頃に他の女性のところへ家業を捨てて父親は行ってしまった。母は神戸に働きに出っていった。19歳の兄が家業を継いだのですが、生活が苦しく21歳のときに飛び込み自殺をしてしまった。三人での生活は本当に苦しいものであった。梅干の種を食べるようなこともあった。小5のとき二年後に母親が帰ってきた。母は熱心なクリスチャンになっていた。母親を喜ばせるためになにも解らないまま洗礼も受けた。しかし、人生を恨む。
19歳のとき意を決して父親のところに行く「家に帰るように懇願する」しかし、父親は冷たい、家族を苦しめ好き勝手に生きている。「どうせみんな死んだら焼かれて死ぬだ。すき放題に生きてやろう」と自暴自棄になりとうとうやくざの世界に入ってしまう。忠誠心と律儀さが買われて親分のボデーガードになる。賭博に開け暮れる毎日。25歳でダンスホールで奥さんと出会い。会社員と偽って9年付き合う。明るく、いい女であった。結婚する。

悲しい結婚とヤクザ
結婚しても全くやくざになってしまっている。賭博でもうけても子分に羽振りを利かして使う。他の女の人に貢いだりして全く家庭を顧みない。おまけに奥さんの貯金は使いはたす。実家にも借金する。なじられると奥さんを気が狂ったように暴力を振るう。親にも殴られたことのない奥さんは、「こんな人間は人間じゃない」と悩み、とうとう実家に帰る。
それを追いかけて行き、包丁をかざして義父を脅して、連れ戻す。義父が連れ戻しに来ても「連れて帰れるものなら帰ってみい!!」と啖呵を切って、腕を捲き上げて刺青を見せて脅迫する始末であった。結婚して一年半で長男が生まれた。生まれつき脳性小児麻痺であった。妊娠の時に奥さんをけったのが原因、奥さんは恨みを持っていた。
二年後、次男が生まれる。子煩悩の彼は、このままでは子供に悪いと思うようになり、やくざから足を洗わねばと思うようになった。

逃亡のための麻薬
やくざの世界からのがれるために、覚せい剤に手を染めるようになった。覚せい剤を使うようになるとやくざの仲間から嫌われる。覚せい剤欲しさに嘘を言う。金ほしさに借金する。手段を選ばなくなるからである。組織から出るために覚せい剤に手を染めた。中毒になるまで覚せい剤をやった。そのためにまたサラ金から借り、奥さんの着物を売る。電気製品まで質に入れる始末。奥さんは、ついに子供を連れて実家に帰る。子どもを力づくで連れ戻す。覚せい剤の幻覚でさいなまされながら世話することなどできっこない。とうとう死のうと決意する。子供に「お父さんと死んでくれるか?」というと子供は死の意味も解らないままうなずく。寝ている二人を長男から首を絞めようと手をかけかけたとき、長男がニッコリ笑った。それ以上手を下せなくなった。奥さんの実家に帰すしかない。

回心と復縁 子供に助けられて
奥さんは家庭裁判所に申し立て、成立して,旧姓に戻った。覚せい剤の幻覚は更にひどくなり、とうとう精神科に入院する。見舞いに来た義兄に医者が「まだ大丈夫直おります」と言っているのを聞いた。そのとき、安心が来て「神様助けて下さい」と叫んだ。
祈ってくれているお母さんや姉夫婦、そして教会の牧師先生や兄姉、「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。」(ヤコブ5:15)このことを聞き確信するとき不思議が起こった。一週間で退院するということになった。
20年間のやくざの生活から足を洗い、親戚の造園業を手伝うようになる。生活を切り詰めサラ金の借金を返し、親不孝、家族への罪を悔い改めてキリストを信じ、教会に出席し始めた。奥さんの居所はわからず。尋ね、捜し求めて市内を歩き回り、やっと見つけた。おもちゃを手土産に尋ねていくと、子供たちが「あ!お父ちゃんや」と玄関から大喜びで飛び出してきた。奥さんは復縁する気はなかった。玄関で立ち話をすることで終わる。何度も訪問する内に、玄関から中に入れてくれるようになり、やがて部屋に上げてくれた。「晩御飯食べていく」というまでになった。毎月の養育費も送った。長男のことを考えるとこれを捨てては犬畜生に思われると感じた。それはしたくない。奥さんに気持ちが通じた。

赦しと勝利の福音
「人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪を御赦しになりません。」(マタイの福音書6:15)教会に通っていた奥さんの心に聖書が語りかけた。祈って、祈ってご主人を赦す決心をした。「主人ともう一回やり直そう。根は優しい人やから」。離婚後5年たって復縁する決心をする。そのとき丁度、大阪の日生球場でビリー・グラハムの大伝道集会があり、家族が再決心してみんな揃って教会に出席するようになる。キリストを信じる時どのような人生も変えられる。破壊された生活と人生を完全に立ち直して下さる。素晴らしい救い主である。幸せは心に真実の神を受け入れ、どのようなことがあっても心を支える柱がある時に勝利が約束される。それがキリストを信じる信仰である。

「すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。世に勝つものはだれか。イエスを神の子と信じるものではないか。」(ヨハネT、5:4−5)


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