「聖書的説教とは」
 
アドバンストスクール公開講座〈説教の前提U〉
聖書解釈と文献批評の今日的課題
発題 廣瀬利男


2.現代の学問の基本的構造  科学と合理性



2.現代の学問の基本的構造と聖書  科学と合理主義
学的理念は古代では哲学、中世では神学、現代では科学である。科学の基本は理性であり合理主義、実証できないものは実在しないことになる。
文献批評学は文芸復興のヒューマニスト(古典学研究者)により、その研究方法論的基盤が古典文献学的、言語学的研究にあった。文献学はまた歴史研究の学でもある。教会の伝承と聖書によって世界が演繹的にすべての領域に解釈される中世から、ルネサンスとともに宗教改革を通して近世の啓蒙主義的理性中心の実証科学的批判学が実際に興隆するのは18世紀に入ってからである。宗教改革における“聖書のみ”が信仰原理となり、聖書が神の言葉、霊感された正典として確立するのがウエストミュンスター信条においてとされる。聖書が文献として批判的に研究対象とされたのは近代神学の父といわれるシュライエルマハーによるといわれ、この流れは啓示と理性、信仰と科学、主観と客観、超越的不合理性と内在的合理性の問題を引きずることになる。
それは聖書の正典性と聖書の文献性の問題であり、そこにキリスト教信仰の根幹的問題を呈してきたことになる。学的性質は対象と方法によって性格付けられる。自由主義神学の台頭と共にその学問性は、世俗的学問一般の方法論に基礎を置くことと解されるようになる。そのために、神学諸部門が分化されて聖書神学、歴史神学、実践神学と四部門分かれるのは諸学の方法として分析と文化が進むからである。今日では全ての学的領域でラデカルに分化が極限化して、トータルな全体を見失うことの危惧と反省が生起している。本来、教義学は啓示を対象とする学的性質から聖書解釈学から分離して考えることはできないのである。今日の文献批評学的釈義方法は対象である聖書を単なる歴史的文献として研究することであり聖書の啓示としての神言性を無視することになる。その点、バルトの教義学の学問性の理解は神学の独自性としての「神の言葉」にもとづくことを前提にすることから、教義学は聖書解釈の上に立つ「神の言葉の神学」であり、自由主義神学に対峙する神学の回復として20世紀の偉大な業績となっている。聖書学の歴史的批判的文献研究法の目的は歴史の事実への解明が主となり、伝承史、様式史、言語学や考古学などとなって、聖書神学は全く別の学問体系となる。組織神学においてはキリスト教の教義が真理であることを哲学によって解明するということが重大性をもち、そこで、組織神学は宗教の本質を構築するのに宗教哲学に依存するものと考えられた。キリスト教の真理を明らかにするのは哲学であるとすることになり、聖書神学は歴史学の一分野にすぎず、教義学は哲学の一分野にすぎないことになる。そこでは神学固有の独自の学問性は消滅することになる。一般の学問と神学の学問の独自性、即ち、その本質を理解することが教義学や、聖書解釈の前提とならなければならない。




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発題内容1/12


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