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テロの不安と人生の希望


 「平和に役立つことや、互いの徳を高めることを、追い求めようではないか。」― 聖書 ― 

悲しいテロ事件と人間
9月11日。ニューヨークの無差別殺傷テロ事件は世界の人を驚愕させた。6千人以上の人が死に、行方不明となった。罪もなく、関係のない人々の命を、何故、自らの命と共に断ち切るのだろうか。人類が存在して歴史にこのようなことがあっただろうか。絶対に人間ならこのようなことはしない、できない事が起こった。いや、数年前のオウム・サリン事件や池田小事件は正に形態において同じである。
人間が絶対にできない、人間がしないことができるものとは? それこそ悪魔と呼ぶ以外ないのではないだろうか。人間が悪魔になるとき、悪魔は時として神の名を騙り、天使の衣を着て襲ってくるといえる。
一瞬にして人の命を奪い、家族を引き裂き、悲嘆の中に陥れる。敵の姿が見えない不安、いつ起こるか解らない不安、どのように起こるか解らない不安。いま不安を取り除く努力がはじめられている。
どんな時にも夢をもとう
人類の歴史は争いの歴史と言える。中国の戦国「三国志」時代、悲惨な戦いの中で人々は平和を求めていた。平和を求めて果てしなく続く闘争の矛盾の中で英雄、諸葛孔明の物語りは展開される。スーパー歌舞伎で孔明を演じる市川猿之助、志半ばで命果てようとするとき彼は言う「信じれば夢はなる」と。それが実現不可能な夢であっても「出来る」と信じる時、夢は実現する希望を与えられる。それは人の心の命となる。ライト兄弟は人間が空を飛べると夢見て空を飛んだ。月に行けると信じて道が開かれた。
どんな時も、不安に支配されておびえるのでなく、希望をもってものごとに当たってこそ道が開け、努力、工夫が生まれるといえる。


心と生活を破壊するテロ
毎日の生活や人生の営みの中でも、人間性を失わせ生活や人生を破壊する悪魔的テロの力が常に心を襲う危険がある。
人は誰でも平和に、幸福に生きたいと願う。そのために学び、すぐれた知識や技術を学ぶ。収入を得、地位を得てもそれが生活を幸せにする全てではない。どのように知性があり、理性があっても人間は金や性的興味、地位、権力に迷わされる時、人生と生活を狂わせ、破滅させると言える。国家の地位ある高官が、公金でお馬さんを買ったり、妾宅を設けたり、判事が少女売春、また、電車の中で痴漢行為で逮捕される。教師がメール犯罪で少女殺人に問われる。ある知事も痴漢行為で職を失った。そして、親が子を虐待し、河に捨てる。人間の心は悪魔的精神テロに脅かされていると言える。
これは人間であれば全ての人に襲ってくる生活、人生破壊の闇の力である。


生活をガードする神の言葉
聖書は言う。
「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って抵抗しなさい。」(ヤコブ 5:8、9)


性や金銭、地位、名誉が悪であるのではない。許されない求め方が悪いのであり、罪悪である。罪に負け支配される時、生活は破滅し、家庭は破壊され、ある時は、社会を混乱に陥れることにもなる。
「信仰にかたく立つ」とは真実の神、キリストによって現された「義にして愛なる神」を信じる、即ち、信頼することである。神を心の基準とし、
「何が神の御旨(思い)であるか、なにが善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ロマ 12:2)ことが大切であると言える。
聖書の神の言葉、キリストの教えは命であり光である。


「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして闇はこれに勝たなかった。」(ヨハネ 1:4、5)


光に闇は勝つことはできない。いかなる巧妙なる闇の力、テロも、真実の神、キリストを信じ、その愛と義を実践するものには、人生と生活に真実の幸せを約束し、希望の光が与えられる。あなたも是非一度、キリストが現された真実の平和と、希望の道を知るためにキリスト教会にお出でください。
「キリストはわたしたちの平和であって、・・・二つのものをひとりの新しい人に造りかえて、平和をきたらせ、十字架によって・・・和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。それからキリストは、こられた上で、遠く離れているあなたがたに福音を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。」(エペソ 2:14〜17)
「どうか、希望の神が、信仰から来るあらゆる喜びと平和とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、希望にあふれさせて下さるように。」(ロマ 15:13)
「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」(ロマ 12:18)





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