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希望の力


「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を希望に溢れさせてくださるように。」ローマ 15章13節

21世紀の厳しい幕開け
 21年前、1979年にベストセラーになった「ジャパン アズ ナンバーワン」の著者ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授は「21世紀は日本の世紀である」といったことで有名です。日本の経済成長の絶頂期の時、繁栄と成功の見通しを表現したものです。
 しかし、今21世紀を迎えて全く先の見えない経済不安と社会構造の転換を迫られています。全ての人が不滅と信じてきた大企業の倒産、銀行の破産、終身雇用制の崩壊、産業構造の変革と情報化社会は容赦なく人々を職場から追い立て生活を破壊しています。
 世の中には、人生に迷い真剣に生きる道を求めている人々を食い物にする奇妙な宗教が後を絶ちません。青少年はメディアに捕らわれ現実の世界と架空の世界の幻惑に善悪を見失い、考えられないような凶悪犯が次々に起こるようになっています。
 学校では学級崩壊が進み、不登校の子どもが急増して教育への不信が極限に来ていると言われます。社会の高齢化は、豊かな社会の中で60%の人々が不安を感じているといわれ、多くの人々は将来の年金制度は破綻すると予想するのです。
33,048人の絶望
 33,048人は1999年の日本における自殺者の数です。1997年は22,445人、1998年が32,863人となっており、この2年で異常な自殺者の増加です。そして、1999年の統計では45%が30〜50歳の人々であると言うのです。 経済産業構造の激変によるリストラの嵐、バブルの崩壊、規制緩和による激しい競争、小子化、高齢化による家庭消滅。社会不安の渦巻く中で失業率、離婚率、倒産率、自殺率は確実に上昇しています。まれに見る繁栄と成熟した日本と言いながら、誰も21世紀に夢をもてなくなっているのです。
 自殺した人のことを思うと涙が込み上げてきます。人それぞれに原因はあるでしょうが、本来、心の健康な人は自分で自分の死を選ぶことは出来ないと言われています。死以外に道が無く、死が全ての解決だと考えてしまうとき、閉ざされた心の中で悲観と絶望の暗室に閉じこもることになるといえます。たいていの場合は極度の鬱病状態になり死の道を行ってしまうと言われています。そして、その人の家族や取り巻く人々の悲嘆は気持ちのやりどころの無いものとなるでしょう。
人生を支える希望の力
 そのような渦の中にある全ての人にとって生きる勇気と力は「希望」のあることです。
キエルケゴールは「絶望とは死に至る病」だと言っています。小さな希望は心の光になります。「この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」(ヨハネ1:4−5)と聖書は記しています。闇とは先が見えない、人が信じられない、全てにさえぎられる不安です。
 この言葉に命があったとは、神の言葉を意味します。神の言葉は命の言葉であり人を生かし希望を与える言葉であるというのです。
 政治も経済も教育も「よくなる」という思い、希望と夢が明日を開くのです。太陽は沈む、やみになる。しかし、必ず朝がくるように光が輝くと信じる思いが努力と勇気を与えるのです。希望があれば逆境こそ人生のバネとなるといえます。
 政治が悪い、社会が悪い、経営者が悪い、教育が悪い、テレビが悪いと言ってぼやいても現実は何も変わらないのです。社会の流れが昼であろうと、夜であろうと、人、一人一人の人生は自らのうちに、しっかりとした「希望」を持たなければ、人々は昼にいながら自分はやみの中で自滅することにもなります。

人を生かす希望と愛
 私達の生活の、全てのものは変わっていきます。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言っています。この世で変わらないことは「変わることだけが変わらない」と言えるのです。移り行き、失われていく見える環境に振り回されて右往左往する人生と言えます。
 聖書は人間が神を作ったのではなく、まことの神は神が人を創造され全ての万物を創造されていることを示しています。また、一方では神は愛であり、人を愛をもって生きるように創造されていると言うのです。人が人として生きるということは神様の愛に生きる時、いのちが生かされ輝くのです。
 そこでは、人の命と人生は自分のものではなく神様によってあずけられたものであって、神様のみ心に生きることが人生の目標になります。神様の正しさを基準に神の愛と平和を実現する生活です。そこでは人は自分の命を断ち切ることは赦されることではないのです。そこから「人のいのち」はどんなことがあっても大切にし、守り、生き抜かねばならないという人生観が与えられるのです。
 単なる人生観ではなく、神様は人を愛し、その真実の愛は責任によって証明されるのです。人が苦しみ、悲しみ、争い、傷つけることを神様は望まれないのです。人々がどんな時にも創造主なる神様を信じ、信頼して生きるとき、神様は愛である故に、必ず解決の道を示し、希望を与えてくださるのです。

「あなた方が会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなた方を耐えられないような試練に会せることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである。」(コリント第一10:13)

 イエス・キリストは「神は愛」であることを証明するために、神でありながら人となり神を表し、ご自分の「いのち」を犠牲にして「真実の愛」と「希望」を与えられたのです。神の愛が人々の希望となり、その希望を信じる信仰が人の力となり勇気となり、人と神を結び付け、神の「神のいのち」を命として生きることになるのです。
 21世紀が不安と孤独、苦悩に満ちた出発であっても生ける神様を信じその道を実践するとき、必ず道が開かれ太陽の輝く勝利の丘に導いていかれることを確信しようではありませんか。

21世紀はあなたの世紀であり、日本の世紀であると信じて第一歩を踏み出しましょう。
「私は乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘訣を知っている。わたしを強くしてくださる方によって、何事でもすることができる。」
― ピリピ 4章 11〜13節 ―
「キリストを信じる者は、失望に終わることはない。」― ローマ 10章 10節 ―








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