阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2021年2月28日
「主の招きに応えて」
ルカによる福音書5章27-32節

 YouTubeの礼拝が続いていますが、今日も心を一つにして、礼拝をささげましょう。
兵庫県では、非常事態宣言が解除されるようです。
非常事態が解除されても、コロナウイルスの感染が終息したわけではありません。人の行き来が増えれば、また感染が広がる恐れがあります。
気を緩めないで、感染防止に気を付けて生活したいと思います。
教会では、3月7日(日)までYouTubeでの礼拝を続け、3月14日(日)から朝のSSと、礼拝を再開する予定です。
3月の奉仕表をお送りしましたので、奉仕者の皆様はご準備ください。教会では、マスク着用、手指の消毒などに努めましょう。
お交わりや、愛餐は当面見送ります。ワクチン接種などで対策ができて、何も心配せずにすべての集会、行事が行えるよう、祈り続けましょう。

 12弟子のひとりにマタイがいました。マタイは、カファルナウムの徴税人でした。レビという名で登場します。マルコによる福音書によれば、彼はアルフォイの子レビと、紹介されています。レビは「結ぶ」という意味です。
この時代、徴税人は人々から忌み嫌われ、ユダヤの社会から締め出されていました。罪人として扱われ、神殿への献金も受け入れられませんでした。
徴税人は、人々から税を取り立て、ローマ帝国に納めるという仕事をする人々であり、不正な取り立てをしていると嫌われていたのです。
最も、徴税人は、ローマから給料をもらっていたのではなく、税金として多く取り立て、その中からローマに納める金額と、余計に徴収した金額の差額が収入になったのです。ローマの手先として同胞を苦しめる者として。誰からも相手にされませんでした。
人にとってつらいことはたくさんありますが、孤独は苦しいものではないでしょうか。レビは、毎日収税所に座って、税を取り立て、それを計算し,納めるものを納め、残りを自分のものとする生活を続けていました。
声をかけてくれる人も、親しくしてくれる人もおらず、顔を見ても避けられてしまうような日々でした。
レビは、このまま一生このような生活を続けるほかはないと思っていたでしょう。
取税人は神殿に入って、祈りたくても、入ることは許されませんでした。
レビは希望もなく、目的もなく、暗い思いを抱えながら徴税所に座って仕事をしていました。
そのような日々を送っていたレビでしたが、主イエスがかけてくださった一言で、すべてが変わりました。
主イエスは、レビをご覧になり、「わたしに従いなさい」(ルカ5:27)と御声をおかけになりました。主イエスは、「わたしの弟子になりなさい」と、レビに言われたのです。
すると、レビは「何もかも捨てて、立ち上がり、イエスに従った」(ルカ5:28)のです。
今までだれも自分を受け入れてくれる人はいなかったのに、主イエスは御声をかけてくださった、それに応答して、レビはすぐに立ち上がって従ったのです。
レビは、主イエスの招きが本当にうれしかったのです。それで、自分の家で盛大な宴会を開きました。
そこに主イエスがおられました。そして、出席者は、徴税人仲間や罪人と決めつけられている人々ばかりでした。
それを見て、ファリサイ人や律法学者たちは、主イエスの弟子につぶやきました。直接主イエスには言えなかったようです。
「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」(ルカ5:30)と聞いたのです。
自分たちが、神の前に清く正しい者だと自認しているファリサイ人たちには、主イエスの御心は理解できませんでした。
主イエスが世の罪を贖うために来られた神の独り子であることなど、受け入れることはありませんでした。
主イエスは、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5:31,32)とお答えになりました。
主イエスは、徴税人や、罪人とされている人々たちは、自分の罪深さを知り、救いを求めていることを知っておられました。
このような人々こそ救い主を必要とし、求めていたのです。
自分を義人だとうぬぼれていたファリサイ人たちは、自分に魂を癒す医者が必要とは考えませんでした。
主イエスはそのような人を招くためではなく、自分の罪を知り、罪深さを覚えながらも、どうしたらよいのかわからず悲しむ人々を招くために世に来てくださいました。
「悔い改め」とは、自分の生き方の方向を、神の方に変えて生きることです。主イエスを心に受け入れて、従う生き方をする決心をすることです。
レビは、マタイという名を使うようになりました。マタイとは、「神の賜物」という意味があります。
徴税人であったときに主イエスに招かれ、12使徒として働き、殉教するまで忠実に従いました。
主イエスは私たち一人一人を見いだし、御声をかけてくださいました。
生き方がわからず、将来に希望もなく、どのように生きていくべきか迷っていた人もあるでしょう。
空しさの中に日々を送っていた人もあるかもしれません。
様々な不安を抱えながら毎日を過ごしたこともあるでしょう。
それぞれが道を求めていた時に、主イエスは「私に従いなさ」と御声をかけてくださいました。
御声を聞いても、立ち上がらない選択もあったのです。レビは徴税所に座って仕事をしていました。主の招きがあっても立ち上がって従わないという選択もあったのです。
主の御声に応答できたことは、人生で最大の決断であったと思います。
立ち上がって主に従ったのです。
主イエスは、すべての人の罪の贖いの為にこの世に来られ、十字架に架ってくださいました。三日目に甦り、今も生きて私たちの為にとりなしていてくださいます。
主イエスを心に受け入れ、悔い改める時、罪を赦し、神の子としてくださいました。永遠の命を下さったのです。
今は恵みにより、信仰によって救われる恵みの時です。主イエスを信じる者は誰でも救われるのです。
御声を聞いたら、すぐに応答することができるのです。
レビはマタイという名を持ちました。神の賜物という名です。
イザヤ書43章4節には、「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛し・・・」という御言葉があります。
私たちは、口語訳の方に親しんでいるのではないかと思います。
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、」という訳です。
これは主イエスが私たちをどのように見ておられるか、ということです。レビは人から軽蔑され、軽んじられた人でした。しかし、主イエスは、あなたは高価で尊いと、受け入れてくださいました。
レビが、まだ主イエスのための働きを何もしていないときからです。何かすばらしい働きをしたからとかではなく、主イエスは、あなたの存在そのものが尊いと受け入れてくださるのです。
マタイは、主にある喜びと誇り、自信を心に持ち、主に従い続けることができたのです。
主イエスの招きの声を聞きましょう。主イエスは私たちを尊い大切な存在として受け入れ、愛してくださいます。
そして、あなたは「賜物」と語り掛けてくださり、主のお働きにそれぞれを用いてくださいます。これ以上の幸いな人生はありません。


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