阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年1月21日
第3聖日礼拝
「わたしが命のパンである」
ヨハネによる福音書6章35節
 今日も共に集まり、心を合わせて礼拝をささげられる恵みを感謝します。新しい年も第三日曜日を迎えました。毎日寒さが続きますが、お互いの健康が守られるよう、祈りましょう。
今朝も御言葉を通して、私たちの救い主、主イエスに近づいて参りましょう。
ヨハネによる福音書6章には、主イエスが大麦のパン五個と魚二匹で男の人だけで五千人を養われたという出来事が記されています。
当時の人々は、時折飢えに苦しみました。天候が不順であれば不作になり、食物が得られずに困ったのです。
旧約聖書にはたびたび飢饉の記録が記されています。ルツの一家も飢饉のためにユダヤからモアブへ移住したのです。
家族を失って、ナオミとルツはユダヤへ帰りましたが、神の不思議なご計画によって、ルツは主イエスの遠い先祖になりました。
主イエスの時代にも人々が求めるのは、日々の食物を与えてくれる人でした。
毎日お腹を満たしてくれるような人を求めていたら、主イエスは奇跡を起こされたのです。
主イエスは、人々が主イエスを王にしようとして連れて行こうとしたのを知って、お一人で山に退かれました。
それから対岸のカファルナウムへ行かれたのですが、人々も追いかけてやって来ました。
そこで主イエスは彼らに、「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」(ヨハネ6:26−27)と教えられました。
人はパンに代表される食物を食べて生きられます。
人は何のために働くのでしょうか。生きていくためです。生きるために必要なすべての物を手に入れ、生活していくためには働かなければなりません。それは、生きるための、よりよい環境を求めることになります。
また、働きの中に生きがいを求める人々も多いと思います。
働くことや学ぶことは大切なことです。学ぶべき時に学び、働くべき時に働くことは、人にとって大切なことです。
それは、神と人に仕えるためであることを覚えたいと思います。
人は体の命と、魂の命を持っています。
聖書はそれを「プシュケー、肉の体の命」と、「ゾーエー 永遠の命」というように教えています。
主イエスは、永遠の命に生きるようにと人々を教えました。
彼らは、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか。」(ヨハネ6:28)とお聞きしました。
主イエスは、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」(ヨハネ6:29)とお答えになりました。
すなわち、神がお遣わしになった独り子、まことの救い主を信じる事こそが永遠の命だと言われたのです。
人々はさらにしるしを求めましたが、主イエスは御自分こそが神のパンであり、世の命を与える者だと証しされたのです。
主イエスこそ永遠の命であり、命のパンであることをはっきりとお教えになったのです。
人が永遠の命に生きるためには、罪を解決しなければなりません。
罪とは自己中心であり、真の神を信じようとしない高慢な心です。
聖書は罪は人の心にあるもので、「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別なこと、これらの悪はみな中から出て来て、人をけがすのである。」(マルコ7:20−23)と教えています。
人は主イエスを信じて初めて罪と、自分の罪深さがわかります。
信仰を持たなければ、本当の罪に気が付かないのです。人に迷惑をかけなければ、あるいは犯罪に手を染めなければ罪はないと思ってしまいます。犯罪を犯しても、責任転嫁をして、罪を認められないような心もあるのです。
そのような罪深い世の人々の救いとして、主イエスは来てくださり、十字架への道を歩んでくださいました。
罪人を愛して、その救いの為に十字架で命を捨て、罪の代価を払って下さいました。三日目に甦られ、今生きていて御許に来る者を救われるのです。
主イエスは、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35)と宣言されました。
主イエスを信じてこそ、人は罪から解放され、永遠の命に生きることが出来るのです。この方による以外に救いはありません。
聖書にはたびたび「救われるためには何をしたら良いですか」と質問する人が記されています。
パウロとシラスによって福音はヨーロッパへ伝えられました。フィリピで伝道していると、占いの霊に取りつかれた奴隷の女性が、「この人たちはいと高き神の僕で、救いを伝えているのです」と叫びながら、何日も後について来ました。
一見、パウロたちを紹介しているように見えますが、実は福音伝道の邪魔をしていたのです。パウロたちは困り果て、占いの霊を追い出しました。
この婦人は占いで主人をもうけさせていたので、それが出来なくなり、主人たちはパウロたちを役人に引き渡しました。
鞭打たれ牢獄に入れられたパウロたちは、鎖につながれていました。真夜中ごろ、パウロとシラスは賛美をしていました。他の囚人たちは賛美を聞いていました。
突然大きい地震が起こり、獄の戸が皆開いてしまいました。獄吏は囚人が皆逃げてしまったと思って自害しようとしたのですが、パウロは大声でそれを止めました。
獄吏は明かりをもって牢の中に飛び込み、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」(使徒16:30)とひれ伏して聞きました。
「救われるために、私は何をしなければいけないのですか」と聞いたのです。
パウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)と教えました。
救われて永遠の命をいただくためには、何かをする必要はないのです。
命のパンである主イエスを食べる、すなわち飲み込むことなのです。
心に信じて受け入れるなら、直ちに新しく生まれ変わり、新しい命に生きる事が出来ます。
フィリピの獄吏は、この夜、救いを受けました。突然のことでした。
その夜の内に自分も家族も洗礼を受けました。パウロたちを食事でもてなし、神を信じる者になったことを家族ともども喜びました。
獄吏はこの時から、生活のための働きだけではなく、永遠の命に至る食べ物の為に働く者へと変えられました。
悔い改めを体験して、本当の人生を生きる者とされたのです。
獄吏も家族も、紫布の商人リディアらと共に、フィリピ教会の設立や伝道に用いられたことと思います。
新しい人生に生きる者になったのです。
命のパンは、いつでも私たちの前に差し出されています。
主イエスは「わたしは、天から降ってきたパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネ6:51)
と、主イエスを信じる者の幸いを教えられました。
今日もこれからも命のパンである主イエスの命に生かされ、神の栄光を表す日々であるように、祈り、ますます主イエスに近づいて、進んでいきましょう。


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