阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年1月28日
第4聖日礼拝
「主イエスがおられるなら」
マルコによる福音書4章35-41節

 1月最終の主の日を迎えました。日々主の御守りの内を歩んで、今日まで来ることができました。感謝します。
礼拝は私たちの信仰と生活の中心です。今朝も主を見上げ、心を一つにして礼拝をささげましょう。
 主イエスは主の許に押し寄せて来た群衆に押しつぶされない様に、弟子たちに小舟を用意するように言われました。
小舟を湖に少し漕ぎ出し、主イエスは舟の中から湖畔にいる人々に御言葉をお語りになりました。
御言葉を教えられた後、主イエスは弟子たちに向こう岸に渡ろうと言われたのです。
マルコ5章によると、主イエスがガリラヤ湖を渡って行かれたのは、「ゲラサ人の地」へ行くためでした。
ゲラサはガリラヤ湖畔から60キロくらいの所にあります。ゲラサでは墓場を住まいとする汚れた霊につかれた人を癒しました。
昼も夜も叫び続け、体を傷つけ苦しみ抜いていた人は、主イエスに癒されました。人々は癒されて正気になり、着物をまとい座っているこの人を見て驚きました。癒された人は、主と一緒に行きたいと願いましたが、主イエスは、「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」(マルコ5:19)と言われました。この人は帰って行き、自分の身に起きたことをこの地方に広く言い広めました。人々は皆驚きました。
癒された人によって、主イエスの福音は伝えられたのです。
このような働きの為に、主イエスは弟子たちに湖を渡ろうと言われたのです。
弟子たちが舟をこぎ出していくと、大変なことが起こりました。
激しい突風が起こり、舟は水をかぶって水浸しになってしまいました。
ガリラヤ湖は海抜が低く、周囲から突風が吹きこむことがありました。
弟子のペトロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネなどはもともとガリラヤ湖の漁師で、突然突風に会った事もあったのでしょうが、今回は彼らも怖れるほどの嵐になりました。
舟は風にあおられて今にも転覆しそうでした。
そのような時、主イエスは舟の艫(とも)(後方)で枕をして眠っておられました。日々群衆に多くの事を教えられ、疲れておられたのでしょう。
弟子たちは、主イエスに「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と恐怖の中、取り乱して伝えました。
この言葉には、主イエスが湖を渡ろうと言ったのに、このような事態になってしまったという思いがありました。
主イエスは起き上がって、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と命令されました。すると、風はやみ、すっかり凪になりました。命を失いそうな大嵐から、凪になったのです。
主イエスは弟子たちに、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4:40)と言われました。それは、あなたたちはなぜそのように臆病なのか、信仰を固く持てないのはどうしたことかと言われたのです。
マタイによる福音書の平行記事によると、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。(マタイ8:26)と言われて、風と湖をお叱りになったとあります。
だれでも恐ろしい嵐にあい、舟が沈みそうになるなら恐ろしくて、どうしようもなくなるのではないでしょうか。
しかし、どのように恐ろしい目にあったとしても、主イエスが一緒にいてくださる事を忘れてはいけません。
主イエスは私たちを愛し、いつも一緒におられます。私たちの人生を導いて下さいます。
私たちの日々は平穏な時もあれば、大嵐のような時もあります。
私たちの信仰は平穏無事の時ではなく、大嵐のような試練の時に表されます。
弟子たちは、嵐を静められた主イエスを、「いったいこの方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」(マルコ4:41)と互いに言い合いました。
主イエスは舟が沈みそうな嵐の中でも眠っておられました。
それは、万物を造られ、治めておられる天の父なる神を完全に信頼していたからです。真の神を信じて委ねる者の心は平安です。
一方弟子たちは、恐怖の為にうろたえ、狼狽しきってしまいました。
私たちは、試練や困難を避けることはできません。しかし、それを信仰によって、乗り越える事が出来るのです。
使徒パウロは、迫害する者から宣教する使徒に変えられて、宣教の生涯に用いられました。
パウロは、エルサレムの神殿に異邦人を入れたという冤罪の為に、ローマ皇帝に上訴しました。そのためにローマへ船で護送されることになりました。「良い港」という所に着いたとき、航海が危険な季節になり、難破の恐れがあるので、パウロは船を出さないで冬を越すようにと提案しました。ところが船長や船主は船出することを選びました。
ところがしばらくすると、「エウラクロン」という暴風が吹き下ろしてきました。船は風に巻き込まれ進むことができずに、流されるに任せるほかはありませんでした。暴風は止まずに翌日にはまず積み荷を海に投げ捨てました。大切な積み荷さえも捨てなければ船を守れませんでした。
次には航海には必要な船具を捨てなければなりませんでした。
幾日も太陽も星も見えずに大風が吹き続け、助かる望みは全く消え失せました。
人々は食事することもできずに弱り切っていました。
その時パウロは、私が言った通り、クレタから出航しなければこのような目には合わなかったのです。しかし、元気をだしなさい。船は失うが、誰も命を失う者はいません。
「パウロ、恐れるな、あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」
と天使によって告げられたと話しました。
元気を出しなさい。必ずその通りになり、救われますと励ましました114日間も食事をとっていなかったので、感謝をささげてパンを
裂き食べ始めました。人々も元気づいて同じように食べました。
十分食べてから穀物を海に捨てて船を軽くしました。
積み荷も、船具も食料も捨てました。
船は座礁しましたが、人々は泳いでマルタという島に全員無事に上陸できたのです。
真の神が共にいて守られるという信仰は、希望につながります。
大嵐の苦しみの中にも救い主は共におられて救って下さいました。
一方弟子たちは、「いったいこの方はどなたなのだろう」と、語り合いました。主イエスはどなたなのでしょうか。
天の父が世を愛して、救うためにお遣わしになった、神の独り子、救い主です。
誰でも、この方を信じて受け入れるなら、救いを与え、永遠の命をくださるお方です。
十字架によって信じる者の罪を完全に清め、赦して下さるお方です。
私たちの賛美をと礼拝を受けるにふさわしいお方です。
やがて時が来れば、再び来られるお方です。
それまで、いつも私たちと共に歩まれて、守り支えてくださるお方です。
小さい者を愛して守られ、疲れた者、重荷を負う者に慰めと力を与えてくださるお方です。
私たちの人生の主です。私たちは5分先に何があるのか分かりませんが、全てを御存じで支えてくださるお方です。
詩篇の作者は、「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩篇23:4)と詠いました。信仰の告白です。
すべてを委ね、苦しみの時にこそ、主の慰めに喜び、感謝し、信頼し、祈りによってますます私たちの救い主に近づいていきましょう。


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