阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年3月3日
第1聖日礼拝
「御言葉によって生きる」
ヤコブの手紙1章19-21節

 3月第一週の礼拝をささげ、神を崇めましょう。
寒い冬も過ぎ去り、これからは少しづつ温かくなります。
間もなくイースターです。今年のイースターは3月31日です。
イースターは毎年同じ日ではありません。
春分の日の直後の満月からすぐの日曜日が、イースターです。
主イエスの復活という何よりの喜びを覚え、また十字架の受難を覚えながら、信仰の備えをしてイースターを迎えましょう。
私たちが主イエスを信じて従うために大切なことは、まず御言葉を知る事です。ただ単に知識として知るだけではなく、体験することが不可欠です。
御言葉を体験することは、生きておられる主イエスを体験として知る事です。
「御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコブ1:21)と教えています。
人はまことの神が創造された霊的な存在です。神の形に似せて造られました。私たちは、神をお迎えすることのできる霊的な、大切な部分を持っているのです。命そのものと考えることができます。
霊的な命は、アダムとエバの罪の為に死ななければなりませんでした。
神との断絶です。神が食べてはならないと、たった一つだけ禁じたことを守る事ができませんでした。
サタンにそそのかされて、食べてはいけない木の実を食べてしまいました。
この時から罪が入り、人は魂も体も死ぬものになったのです。
アダムとエバはなぜ神の言葉に従わなかったのでしょうか。もちろん、蛇の巧みな誘惑がありました。
神はアダムとエバを大切にしてくださっていました。ですから、何をしても赦されると思ったのかもしれません。しかし、これは重大な罪で、エデンから追放されなければなりませんでした。
人の救いは救い主、メシアの到来を待たなくてはなりませんでした。
「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(Tコリント15:21,22)と教えています。
アダムの罪によって死ななければならなかった人は、キリストの十字架による罪の贖いによって生かされるのです。救い主を信じる者には永遠の命が与えられています。
今は、誰でも信仰によって救われる恵みの時代です。
ヤコブの手紙は、信仰の実践的なことを教えている手紙です。
しっかり聞きたいと思います。
「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。」(ヤコブ1:19−20)と教えています。
人間は、たいていこの逆のことをしているのではないでしょうか。
「聞くに遅く、話すに早く、怒りに早い」ことに思い当たるかもしれません。
これは、生活の中の事を教えている以上に、まず神の御言葉を聞きなさいというように教えていることを心に覚えましょう。
真の神を礼拝する時、また日々のデボーションや、聖書を読む時、神の語りかけをしっかりと聞くことが信仰の土台になります。
信仰は御言葉を聞くことによるのです。
神の語りかけをしっかりと聞かなくてはなりません。
また、人と人の関係もそうです。自分の事を語る前に、まず聞く姿勢があり、それから自分の語るべきことを語って行く。これは大切なことです。
自分の主張ばかりだと何事もうまくいきません。
聖書は怒りについて教えています。
「人の怒りは神の義を実現しないからです。」(ヤコブ1:20)とあります。
人には感情があります。喜んだり悲しんだり、怒ったりします。
しかし、「怒り」には注意が必要です。
誰かが間違った事や、道に外れそうになった時には、怒って諭すことがありますが、これは聖なる怒りといえるようなものです。祈りながらの怒りです。
しかし、自己中心から出て来る怒りや、神様の御心からはずれた怒りは罪につながります。
また、怒りをそのままにすることも罪につながります。
「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソ4:26,27)
聖書の時代は、一日は日没から始まり、日没までを一日と数えていました。ですから、日付が変わるまでに怒りをコントロールして収めておかないと、サタンに足をすくわれてしまうことになるのです。
人は理不尽な苦しい目に遭わされたら、怒りを抑えられません。
兄たちによってエジプトに売られたヨセフは、試練を受けながら他国で奴隷として生きて行かなければなりませんでした。
しかし、神はヨセフと共にいてくださいました。
ポティファルという高官の家で重用されたのですが、その妻に誘惑されて拒んだため、偽証されて投獄されてしまいました。
ヨセフはファラオの夢を解き明かし、7年間の大豊作と7年間の飢饉を予告しました。豊作の間に食料を出来るだけ集めて備蓄するように勧めると、ファラオはヨセフを宮廷の責任者に定め、ファラオの次の地位にしました。
ユダにもひどい飢饉が襲い、ヨセフの父ヤコブは、ヨセフの兄弟たちをエジプトに遣わして食料を求めさせました。
ヨセフは兄たちがヨセフにひどいことをしたことを後悔していることを耳にして、食料と銀を持たせて帰国させました。
さらに飢饉はひどくなって再びエジプトへ出かけなければなりませんが、今度は末の弟ベニヤミンを同行させるのがヨセフが出していた条件でした。
エジプトに到着すると、ヨセフは兄弟たちを食事に招きました。ヨセフはベニヤミンのためにユダがとりなしたので、心を騒がせ、自分が弟ヨセフであることを告白しました」。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」(創世記45:4、5)と語りました。
兄たちの仕業を思えば、怒りはおさまらないはずです。エジプトでの苦難も大変でした。
しかし、ヨセフは兄たちの姿を見て、もう怒りは全くありませんでした。
命を救うために、神があらかじめヨセフをエジプトへ遣わされたと確信できたからです。
父なる神は、私たちの人生でのすべての出来事や、人との出会いのすべてを支配され導かれるのです。
全ての事を私たちの為に益にしてくださることを知っているなら、私たちに敵対する人々に対しても怒りを持ち続けることはありません。
神に委ねる信仰があるからです。
御言葉に聞きながら、怒ることがあっても罪を犯してはならないという御言葉をしっかりと心におさめておく時に、勝利するのです。
私たちのあらゆる汚れ、あふれるほどの悪、すなわち罪は、主イエスの十字架によってすでに聖められました。
神は私たちに御言葉を与え続け、語り続けておられます。
祈りながら御言葉によって生き、御言葉によって進み、すばらしい神の救いを言葉と生活によって証言していきましょう。

今週のみことば
「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない
 心の思いが御前に置かれますように。」
 詩編19編15節


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