阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年3月10日
第2聖日礼拝
「イエスの言葉に従う」
 ルカによる福音書5章4-11節

 今日も霊と真を持って礼拝をささげましょう。礼拝は私たちの信仰と生活の土台です。豊かな恵みにあずかりましょう。

 さて、主イエスがゲネサレト湖畔にたっておられると、神の言葉を聞こうとして群衆が主イエスの周りに押し寄せてきました。
ゲネサレトとは、ガリラヤ湖の別名です。
人々は主イエスの言葉を聞きたくて押し寄せてきました。
そこには二艘の小舟がありました。漁師たちは漁を終えて網を洗っていました。
そこで主イエスはそのうちのペトロの持ち船に乗って、岸から少し離れた所から人々をお教えになりました。
主イエスは話を終えられると、ペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4)と言われました。
漁は夜中にするもので、昼間することはありません。
ペトロ達は一晩中漁をしましたが、何も獲れませんでした。
疲れてしまい、網を洗って早く家に帰って休みたかったに違いありません。
それなのに、主イエスはもう一度漁をするようにと言われたのです。
ペトロは、自分の経験ではこの時間から漁をしても仕方がないし、主イエスはガリラヤ湖を知り尽くしている漁師の自分に一体何を言っているのだろうかと、疑問を持ちました。もう、網も洗っていました。
それで、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」これがペトロの気持ちだったことでしょう。
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」(ルカ5:5)
と続けたのです。
主イエスの言われた通り、網を降ろすとおびただしい魚がかかって、網が破れそうになりました。そこで、もう一艘の舟に合図して手を貸してもらいました。
二艘の舟には魚がいっぱいになり、舟は沈みそうになりました。
大漁です。
ペトロは、主イエスの前に、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と,ひれ伏して告白しました。(ルカ5:8)
ペトロの漁師仲間である、ゼベダイの子、ヤコブとヨハネも同様でした。
ペトロはこの時初めて主イエスにお会いしたわけではありません。
4章38節以下には主イエスがペトロの家に入られ、ペトロの姑の高熱を癒して下さったという記事があります。
主イエスがすばらしい方だと知っていたのですが、まだ従っていたわけではありませんでした。
ペトロは、イエス様は漁など知らない方なのに、いったい何を言っておられるのかと疑問でしたが、姑を癒して下さった方だし、言うとおりにしてみようかと思ったのです。
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)と言いました。
これは、「先生、私たちは夜通し精一杯苦労しましたが、網には何もかかりませんでした。でも、あなたのお言葉を信じて、もう一度網を降ろします」という気持ちをあらわす返事でした。
舟が沈みそうになるほどの、おびただしい魚が獲れました。
今まで経験しなかったことです。
漁師は魚が獲れなければたちまち生活に困ります。先ほどまでは疲れ果てていましたが、疲れも生活の心配も吹き飛ばしてしまうような奇跡が起こりました。
ペトロは、主イエスに神を見ました。
ペトロは5節では主イエスの事を先生とお呼びしています。しかし、8節では「主よ」とお呼びしているのです。
主イエスに対する見方が変わりました。主イエスに神のお姿を見ました。
人は、聖なるお方に接する時、恐れを覚えます。
それでペトロは自分が神の前に出るにはふさわしくない罪人であることを覚えて、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」とひれ伏したのです。
出エジプト記3章にはモーセの召命の記事が記されています。
モーセはエジプトの宮廷で育ちましたが、逃亡してミデアンの地で羊を飼っていました。ある時神の山ホレブで「モーセよ、モーセよ」と呼ばれる神の声を聞きました。
神は、「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語り掛けました。
モーセは臨在の中で神を見ることを恐れて顔を覆いました。
神はモーセに「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト記3:9,10)と、モーセを出エジプトの為に召されました。
神の臨在を恐れて顔を覆ったモーセでしたが、やがてイスラエルをエジプトから脱出させ、40年の荒野の訓練を通して、約束の地へと導きました。
神の声を聞いて従うとき、神は見えざる御手をもって奇跡を起こされ、最後まで導かれるのです。
主イエスは、ペトロに、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と語りかけ、お召しになりました。彼らは直ちに従いました。
人間をとる漁師とはどのような意味なのでしょうか。人々に福音を伝え、救いに導く働きです。永遠の命への働きです。
主イエスはペトロに、「沖に漕ぎ出して」漁をするようにと言われました。この沖とは「深み」に漕ぎ出してという意味です。
主イエスは、私たちに信仰の深みに漕ぎ出すようにと教えてくださいます。
私たちは主イエスがどのようなお方か知っています。
罪人を救うためにこの世に来て下さった救い主です。
神の独り子が罪人の罪を贖うために十字架で命を捨てて下さいました。そして、三日目に復活されて、今生きておられるお方です。
私たちを愛して、日々執り成しの祈りをしてくださるお方です。
日々恵みに満たして下さり、喜びと平安を与えてくださいます。
御言葉を与えてくださり、魂を養われます。
主イエスは、恵みによって歩む私たちに、さらに信仰の深みへ漕ぎ出しなさいと言われます。
天の父は私たち一人一人にご計画をお持ちです。神の栄光の為の御計画です。
だれでも自分の為に生きるのではなく、神の栄光の為に生かされていることを覚えなくてはなりません。
「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」(ローマ14:7,8)と、教えています。
日々の生活の中で、もう一歩、もう一歩信仰の深みへ漕ぎ出すために、聖霊の満たしを求めて祈りましょう。
私たちの歩みが、神の栄光を表せるように、御言葉によって満たされましょう。
ペトロ達が不漁の為に疲労困憊していた時に、主イエスは信仰のチャレンジをお与えになりました。ペトロ達が拒んでいたら、奇跡はありませんでした。
しかし、あなたのお言葉ですからと信仰の深みに漕ぎ出すなら、考えられないほどの祝福が待っています。
生きておられる救い主を崇めましょう。
天の父の栄光を表しましょう。

今週のみことば
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」
 ルカによる福音書5章5節


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