阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年3月17日
第3聖日礼拝
「慕い求めるべきもの」
Tペトロの手紙2章1-2節

 3月第三週の主の日を迎えました。きょうも天の父を見上げて礼拝をささげましょう。
礼拝は、私たちは主イエスによって救われた神の子であることを確信させ、魂に新しい力をいただいて、主イエスと共に歩むことを決心させてくださる、かけがえのないすばらしい時です。
聖霊に満たされつつ天の父の前にへりくだりましょう。
人が生きていくためになくてならないものがあります。
空気がなくては生きる事が出来ません。起きているときも寝ているときも空気を吸い、また体の中で二酸化炭素になったものを吐き出しています。
呼吸は、鼻や口から空気を吸い、肺に送り込みます。酸素を血液中に取り入れて、血液から出された二酸化炭素を排出します。
これを24時間かかさず無意識でも繰り返して、生きられるのです。
コロナ流行からいろいろ新しい言葉を覚えました。パルスオキシメーターは、初めて聞く言葉でした。これを指に挟んで測定すると、血中に酸素が十分に入っているか簡単に測定できます。
空気は天の父の恵みであることを覚えたいと思います。
また、食料が必要です。食物をとらなくては命を保つことはできません。
主イエスは、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。」
(ルカ11:3)と祈るように教えてくださいました。
必要な糧の中にはもちろん水も含まれています。
水も命を維持するために必要です。成人は、食物の中に含まれている水分を含めて毎日2リットルくらいは水分を摂らなければならないようです。
もし、全然水分を摂らないと、2,3日で生命が脅かされるようです。
天の父は私たちが意識していなくても、恵みを与えて生かし、支えてくださっていることに驚きを覚えます。
天の父は、私たちの体の命を守り、養い、支えてくださる以上に、魂にも命を与えてくださいます。
ペトロの手紙一章には、キリストによって罪が赦され、新しい命を与えられた者の祝福が記されています。
試練によって苦しむとしても、試練を通して信仰の純粋さが証明されて、キリストの日に栄光と称賛をもたらすと励ましています。
そして、救いの喜びに満ち溢れているとも記しています。
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(Tペトロ1:8−9)と、キリストを信じた者が持つ永遠の喜びについて教えました。
主イエスを信じた者の心には、いつでもどのような時にも聖霊による喜びが溢れ出るのです。
さらに御言葉は信仰者の生活について、聖さを求めるようにと勧めています。
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです。」
(Tペトロ1:15,16)
これは、レビ記19章2節の引用です。
主イエスを信じる以前には、意識していなくてもさまざまな罪を持っていました。
それは、「肉の欲」です。真の神を知らず、罪を罪とも思わず、高慢な心を持ちながら生きていました。人は自己中心の生き方しかできないのです。
他人を裁き、自分は正しい人間だと考えていたのですが、罪のない人はいません。
そのような者を主イエスは見い出し、尊い十字架の犠牲によって救って下さいました。
「あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(Tペトロ1:18,19)
この世で価値があると思われている、金も銀も人を救うことはできません。
ただ、キリストの十字架の血によって、人は罪許され贖われ、神の民となる事が出来るのです。
肉の欲は人を誘惑します。
神の愛から絶えず引き離そうとするのです。
いつも心を引き締め、身を慎むようにと教えています。それは、主イエスが教えてくださる、「目を覚ましていなさい」ということと考えられます。
救い主から目を離さない信仰に生かされたいと思います。
主イエスは罪人の為に十字架で命を捨てられ、三日目に復活されたお方です。主イエスは復活されて今生きておられます。私たちの信仰は、復活の信仰です。
間もなくイースターをお祝いできるのは大きな喜びです。
「あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」(Tペトロ1:21)
私たちが新しい命に生かされたのは、朽ちない種、すなわち神の変わることのない生きた御言葉によります。変わることのない御言葉はキリストの福音です。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る」。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
(Tペトロ1:24,25)
変わることのない神の言葉に日々命をいただいていることを感謝します。
このような、はかり知る事の出来ない神の恵みと愛と命をいただいているのですから、罪をかなぐり捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めるようにと教えられています。
罪については、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」をみな捨て去るようにと教えています。
日々祈りの内に聖霊に心を探っていただき、主イエスの血を仰いで悔い改めることは、本当に大切です。
主イエスはすべての罪をきよめてくださいます。
主イエスの血は少しの痕跡も残さず、すべての罪をきよめられるのです。
 混じりけのない霊の乳とは、御言葉の乳です。
乳幼児は乳を与えられて命を保ち、成長していきます。
神がくださる霊の乳は、私たちの信仰に欠かせない大切な糧であり、信仰を成長させてくださいます。
神の言葉こそ私たちが慕い求めるべきものなのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、お腹がすくと泣いて乳を求めます。
乳が与えられるまで泣き止むことはありません。
それほどまでに、切に求めるのです。
それほど、飢え渇きを覚えて霊の乳を求めるなら、主イエスは豊かに与えて、養い成長させてくださいます。
私たちは御言葉に飢え渇いているでしょうか。熱心に求めているでしょうか。自分自身の心を探ってみましょう。
ベタニヤ村のマリアは、主が来られた時、主イエスの足元に座って御言葉に聞き入っていました。姉のマルタに苦情をいわれても、まず御言葉が聞きたかったのです。マリアは御言葉を慕い求める人でした。
私たちは、主イエスを仰ぎながら、きょうもこれからも、純粋で混じりけのない霊の乳を慕い求めて、信仰の成長を喜びながら、主を崇め、賛美しつつ信仰の歩みを強めて参りましょう。


今週のみことば
「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの
 悪を素直に捨て去り、
 心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。
 この御言葉は、あなたがたの魂を救うことが できます。」
 ヤコブの手紙1章21節


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