阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年5月19日
第3聖日ペンテコステ礼拝
「新しく生まれる」
ヨハネによる福音書3章1-6節

 5月第三週の日曜日です。今日は聖霊が注がれ、教会が誕生したペンテコステの日です。天の父に向って賛美の声をあげ、聖霊を待ち望みながら礼拝しましょう。
さて、ファリサイ派に属するニコデモという人がいました。「ユダヤ人たちの議員であった。」(ヨハネ3:1)と、紹介されています。
ファリサイ派であり、議会の議員であり、宗教的な指導者でした。
ファリサイ派は厳格に律法を守る人々でした。律法だけではなく人が決めたさまざまな細かい規定も守る人たちでした。
ある夜、ファリサイ派であるニコデモが主イエスを訪問しました。
ファリサイ派が批判している、主イエスの許を訪ねるのを、人に見られたくなかったのかもしれません。
それでもニコデモは主イエスに聞きたいことがありました。
ニコデモは主イエスに、「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」(ヨハネ3:2)と語り掛けました。
すると、主イエスは不思議なことを言われました。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)
主イエスが「はっきり言っておく」と言われるのは、アーメン、アーメンという言葉で始まり、真実を最も真実に告げるという大切な教えの前に言われるお言葉です。
大切な教えだから、注意して良く聞きなさいと言われているのです。
ニコデモは、自分の魂の飢え渇きを覚えていました。人々から尊敬され、地位も名誉もありましたが、心には本当の満足がなかったのです。
主イエスのお働きを見聞きして、この方の許に行けば、きっと心が満たされるのではないかと思い、訪れたのです。
主イエスが「新しく生まれなければ」と言われたので、ニコデモは「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。(ヨハネ3:4)と答えました。
ニコデモが主イエスに求めていたのは、どうしたら神の国を見る事が出来るだろうか、神のご支配の中に入れられ、神の子となる事が出来るだろうかという事の答えでした。
当時のファリサイ派の人々は、神の国を見るとは、律法を守る事、正しい行いをしていくことであると信じていました。
主イエスは、はっきりと人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできないと言われました。
ニコデモにはその意味が分からず、もう一度母の胎内に入って生まれる事などできないと答えたのです。
新たに生まれるとは、上から生まれるという意味があります。
ニコデモには分かりません。
主イエスは、再び、はっきり言っておくと言われて、「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」(ヨハネ3:5,6)とお教えになったのです。
水と霊によって生まれた者は神の国に入るのです。
それは、主イエスを救い主として心に受け入れることです。
逆に言えば、主イエスを救い主として信じて受け入れた人は、水と霊によって新しく生まれた者なのです
主イエスは、肉から生まれた者は肉,霊から生まれた者は霊だと言われました。
肉というのは、生まれながらの人のことです。
罪を持ったままの人間を指します。
ヨハネ1章には、「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12,13)とあります。
言は、キリストです。救い主を信じた人は、人間の力や血統によらず、神によって生まれたと宣言しています。
バプテスマのヨハネは、人々に悔い改めのバプテスマを授けました。
人は悔い改めるのですが、それが続かないこともあります。
せっかく清められたのに、また、罪のなかに戻ってしまう事があります。
ですから、聖霊の働きが絶対に必要なのです。
神の子は、水によって悔い改め、聖霊によって導かれるのです。
神の子の信仰はどのようにして守られ、成長していくのでしょうか。
聖霊に満たされることが大切なのです。
旧約聖書の士師記にサムソンという人が出てきます。
生まれながらに神のものとして聖別されたナジル人とよばれる人でした。ナジル人は髪の毛に剃刀をあてません。サムソンの力は髪の毛にありました。サムソンはペリシテと争っても必ず勝ちました。
ペリシテ人はサムソンの力がどこから来るのか知りたくて、デリラという名の婦人に探らせました。サムソンはなかなか秘密を打ち明けませんでしたが、せがまれてとうとう髪の毛に力があることを教えてしまいました。そして、サムソンが眠っている間に髪の毛は剃られてしまったのです。
力はなくなりました。捕らえられて残酷な目にあい、牢屋に捕らわれていました。しかし、髪の毛は伸びて来ていたのです。
再び力が宿りました。
サムソンが敵の宴会に引き出されて見世物にされ、笑いものにされた時、建物の柱に寄りかかり、祈りました。
「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。」(士師記16:28)。
いま一度だけわたしに力を与えてくださいと祈り、柱を押し倒しました。建物は崩壊しました。サムソンも死にましたが、最後にサムソンは勝利しました。
勝利はどこから来たのでしょうか。悔い改めて神に帰ったことです。
ナジル人として聖別されていながら、サムソンの生活は肉的な欲の生活でした。サムソンは最後に悔い改めたのです。
聖霊に満たされ続けなければ、神を知っている、キリストを知っていると言っても、いつの間にか罪の中に戻ってしまうような弱さが誰にでもあります。
主イエスは、聖霊を送ってくださり、聖霊は信じる者と共に永遠にいてくださると約束されました。
ニコデモは、主イエスの話を聞いて、すんなりとすぐに受け入れられなかったかもしれません。しかし、もう聖霊は彼のうちに働いておられたのです。
ファリサイ派の中で、主イエスを捕らえようとする動きに反対し、主イエスが十字架で死なれると、アリマタヤのヨセフと共に主イエスの遺体の引き取りをピラトに願い出ました。
どちらも勇気がいることですが、人の力でではなく、聖霊によって行動したことがわかります。彼らは主イエスの御遺体を丁寧に埋葬しました。
聖霊によって新しく生まれたことを新生といいます。新しく生まれた者の顔や姿が変わるわけではありません。
しかし、風が見えないけれども確かに動いていることが分るように、主イエスに従う生活が見える証しとなります。
聖霊に満たされ、永遠の命を喜び、神の子としての歩みを進めていきましょう。

今週のみことば
「はっきり言っておく。
 だれでも水と霊とによって生まれなければ、
 神の国に入ることはできない。」
 ヨハネによる福音書3章5節


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