阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年6月9日
第2聖日礼拝
「賛美の祈り」
マタイによる福音書14章16-21節

 新しい週の初めに、天の父を礼拝できることはすばらしい恵みです。
父の御顔を仰ぎ、心からの礼拝をささげましょう。
きょうは、主エスのなさったすばらしい出来事から、御心をさぐりましょう。
パン五つと、魚ニ匹で男の人だけで5千人を養ったという出来事です。
この奇跡は、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書にも、また、ヨハネによる福音書にも記されています。
4つの福音書に記されている記事は、この出来事だけですから、弟子たちにも、実際にそこで恵みにあずかった人々にも大きな印象を残し、いつまでも心に覚えたのでしょう。
この出来事は、主イエスがバプテスマのヨハネの殉教をお聞きになって、一人人里離れたところに退かれたところから始まります。
バプテスマのヨハネは、ヘロデ王の結婚について、律法で許されていない結婚だと非難していたので、投獄されていました。それを恨みに思ったヘロデの妻ヘロディヤが、娘をそそのかしてヨハネを牢で殉教させたのです。非常に残酷なことでした。
ヨハネの弟子たちはその出来事を主イエスに報告しました。
主イエスはその出来事を聞かれ、一人離れて寂しい所で祈られたのです。
人里離れたところとは、荒野や砂漠をあらわしますが、聖書ではしばしば、神との出会いの場であり、御心を聞くところとして表されています。バプテスマのヨハネの殉教を覚え、また、御自身の十字架の死を覚えて祈られたのです。
主イエスは、山や人里離れた所でしばしば神との祈りの時をお持ちになりました。
ところが、人々は主イエスを求めて主の後を追いました。主イエスはこのような人々を深く憐れまれ、病人をいやされました。
主イエスの苦しむ人々に向けられる憐みは大きく、深いものでした。
やがて夕刻になりました。弟子たちは、主イエスに群衆を解散させてほしいと願いました。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
(マタイ14:15)。
しかし、主イエスは驚くようなことを言われました。
「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(マタイ14:16)。
弟子たちは困惑しました。何もない所でそのようなことができるはずがありません。
弟子たちは、主イエスに「ここにはパン五つと、魚二匹しかありません」と答えました。
ヨハネによる福音書によると、ペトロの兄弟アンデレが、主イエスに「大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます」と知らせました。
パンと、魚は少年のお弁当でしたが、これを少年はささげたのです。
弟子たちは、パンと魚がこれだけしかないのに、主がお一人で食べるだけでなくなるほどの量でしかないと、思いました。たしかにその通りなのです。
これだけしかないのに、それが一体何になるのだという考えは、しばしば人が持つ思いではないでしょうか。
私たちも生活の中で、自分の手元にあるものを数えて、これだけしかないと、暗い思いになることがあるかもしれません。
信仰についても、こんなに小さい信仰では仕方がないと嘆くことがあるかもしれません。
しかし、主イエスは、「それをここに持って来なさい」(マタイ14:18)と言われたのです。
そして、群衆には、草の上に座るようにとお命じになりました。
主は何をなさったのでしょうか。
五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りをささげられたのです。
父なる神を賛美し、感謝をささげられたのです。
パンを裂いて弟子たちに渡され、弟子たちはそれを群衆に配りました。
全ての人が満足するほど食べる事が出来ました。
残ったパン屑を集めると12のかごに一杯になりました。
食べた人は女の人や子供を除いて、男の人だけで五千人ほどでした。
私たちはこの出来事を通して、どのようなこともお出来になる主イエスを崇め賛美します。
また、私たちの信仰についても教えられることを感謝します。
主イエスは、私たちの救いの為に世に来られ、罪の身代わりとして十字架で死んでくださいました。主イエスは三日目に復活されて、今生きておられる神です。
私たちは主イエスによって罪許され、神の子として永遠の命を生きる者とされました。
神の子にふさわしい信仰によって歩みたいと願い、祈ります。
主イエスは私たちが持ち合わせている、「小さなもの」に期待し、それを持って来なさいと言われます。
それを用いようとするなら、大きな恵みの中に考えられないほどの大きな御業をあらわされるのです。
パンと魚を持っていた少年が、それを自分だけのものにしていたら、どうだったでしょうか。主イエスはそれでもほかの方法で奇跡を起こされたと思いますが。少年は自分のささやかな信頼が、大きな出来事に祝福されたという体験を、生涯忘れることなく感謝したことでしょう。
主イエスを体験として知る事が出来たのです。
主イエスに明け渡し、自分自身をささげることによって受けられる、祝福を知るクリスチャンでありたいと思います。
また、私たちの心にいつも賛美と感謝があふれるように祈りましょう。
聖霊はいつも心に平安と賛美と感謝を溢れさせてくださいます。
主イエスが天の父に賛美の祈りをささげられた時に、すばらしい恵みが溢れました。
私たちの口と心に賛美があるならいつも勝利です。
賛美とは祈りにメロディーが付いているものだと考えることができます。
賛美は祈りです。人の喜びの為ではなく、真の神に向かってささげる祈りです。
喜びの時だけではなく、試練の時にも賛美によって勝利する事が出来ます。あなたの口と心は、主イエスのように賛美の祈りに満たされているでしょうか。
「どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。」(詩篇34:2―4)
これは喜ばしい時ではなく、ダビデが苦しい試練の中でうたった賛美です。
順境の時は感謝し、逆境の時も賛美と感謝によって勝利するたくましい信仰をもちつづけましょう。
聖霊は私たちの内に働いて、溢れるばかりの恵みと祝福に満ちさせてくださいます。
天の父をほめたたえましょう。どのような時にも賛美の祈りをささげましょう。

今週のみことば
「イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。
 天地の主である父よ。あなたをほめたたえます。」
 ルカによる福音書10章21節


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