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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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6月第三週の日曜日は父の日です。父の日も母の日と同様に、教会での礼拝から始められました。
1909年、アメリカのドット夫人は、母の日が出来たことを聞き、父に感謝する日も設立したいと、牧師協会に願いを出しました。
1910年6月、初めての父の日の礼拝が行われました。
正式には1972年に父の日が制定されているので、長い年月が必要でした。日本では、信仰とはあまり関係なく1950年頃から浸透してきたようです。
母の日同様、父の日も信仰から始められていることを、覚えたいと思います。天の父を崇め、感謝し、お父さんに感謝しましょう。
すでにお父さんが召されているなら、思い起こし、心で記念したいと思います。
さて、アブラハムは信仰の父と呼ばれています。
アブラハムは75歳の時、神様の召命を受けました。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。」(創世記12:1,2)
アブラハムは、妻のサラ、甥のロトを連れて、主の言葉に従って旅立ちました。どこに行くのかも知らされていませんでした。ただ神に対する信仰によって旅立ったのです。
神はアブラハムを祝福の源とし、その子孫は空の星のように、浜辺の砂のように数えきれないほどになると、約束されました。
しかし、99歳になっても、その約束は現実のものとはなりませんでしたが、男の子が与えられるとの約束がありました。
アブラハムは心の中で密かに笑いましたが、神は御存じでした。
やがて三人の天使によっても、男の子誕生の予告がされました。妻のサラは密かに笑いました。
アブラハムは100歳、自分も90歳、そのような者に子供が与えられるわけがないと思ったからです。
しかし、天使は、「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、サラには必ず男の子が生まれている」と語りました。
そして、約束通り、男の子が与えられて、イサクと命名されました。イサクとは笑うという意味です。
アブラハムは、100歳になって与えられた約束の子、イサクを大切にして、愛したことでしょう。
ところが、アブラハムは最大の試練を受けることになりました。
神は、アブラハムにイサクを全焼のいけにえとしてささげよと、命じられたのです。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサク」を連れてモリヤの山に行き、そこでイサクをささげ物とせよという命令です。
アブラハムがどれほどイサクを愛しているかを知っておられるのにこのような命令をされました。
この試練の中にアブラハムの神に対する姿勢を見る事が出来ます。
それは、神の呼びかけに、「はい」と答えていることからわかります。
この出来事の中にアブラハムの神に対する「はい」が2回、イサクの呼びかけに対する答えが1回あります。
イサクは「わたしのお父さん」とアブラハムに語り掛けました。アブラハムは、「ここにいる。わたしの子よ」と答えました。
アブラハムはもう100歳を超えていました。老齢ではありましたが、神の臨在のなかに生かされて、語りかけにいつでも「はい、わたしはここにおります」と答えることができました。
本来祈りは臨在を覚えて、神とお交わり、会話をすることです。
独り言のように、必要だけを語って、祈っていると思うのは違います。
神は私たちにも御言葉をもって語り掛けてくださいます。
神の前に黙って御言葉を待つのは大切な祈りです。
神の前に沈黙して、語りかけを待ち、答えるという会話が祈りです。
「私の魂よ、ただ神に向かって沈黙せよ。私の希望は神から。神こそわが大岩、わが救い、わが砦。私は揺らぐことはない。」(詩篇62:6,7 聖書協会共同訳)。
アブラハムはまさにこの詩編のように、黙って神に向かい、黙々と従いました。
モリヤに向かって進みながら、このような神に対する希望をもって祈っていたのです。
旅は三日続きました。はるかに目的地が見えた所から、従者をそこに残し、イサクに薪を背負わせ、自分は火と刃物をもって歩き出しました。
アブラハムは従者に、「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」(創世記22:5)と伝えました。
神は自分とイサクを戻して下さると、信じていました。
イサクはアブラハムに「わたしのお父さん」と呼びかけました。アブラハムは、「ここにいる。わたしの息子よ」と答えました。
イサクは、火と薪はあるけれど、いけにえの小羊を連れていないことに気付いていました。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(創世記22:7)と聞きました。
アブラハムは、「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(創世記22:8)と答えました。
神を信じて委ねる信仰の言葉でした。
モリヤに着くとアブラハムは祭壇を築き、薪を並べてイサクを縛ってそこに乗せ、刃物を振り下ろそうとしました。
まさにその時、御使いの声がありました。
「アブラハム、アブラハム」という呼びかけに、アブラハムは「はい」と答えました。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分ったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」(創世記22:12)
アブラハムがあたりを見回すと、後ろの木のしげみに一匹の雄羊が角をとられていました。アブラハムは雄羊を、息子の代わりに全焼のいけにえとしてささげたのです。神みずから献え物を用意してくださいました。アブラハムはその所を、ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けました。「主の山に備えあり」です。
アブラハムは言葉の通り、従者の所へ戻りました。
神はアブラハムの信仰を御覧になり、改めて祝福の源となるべく豊かにすべてを祝福すると、約束されました。
この出来事はまた、後に神は、人の罪の贖いとしてその独り子を惜しむことなくお与えになるという、愛の予告でもあります。
私たちも。十字架の愛のメッセージとして受け入れることができます。
神は私たちを愛し、その救いの為に御子を世にお遣わしになりました。
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)
.アブラハムは、信仰によって義とされました。
私たちも主イエスを救い主として信じた結果、義とされました。
父である者は、信仰をもって家族の為に祈りましょう。また、父のために祈りましょう。信仰の家庭が築き上げられるよう祈りましょう。
その独り子を下さった、父なる神の愛に感謝しましょう。
今週のみことば
「神は約束したことを実現させる力も、
お持ちの方だと、確信していたのです。
だからまた、それが彼の義と認められたわけです。」
ローマの信徒への手紙4章21-22節
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