阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年7月28日
第4聖日礼拝
「永遠の命に至る水」
ヨハネによる福音書4章13-15節

  主イエスにすべてを守られ、一週間を過ごす事が出来ました。
週の初め、主の日に礼拝をささげられることを感謝します。
猛暑が続いています。昼間外に出ると、頭がくらくらする程の暑さです。熱中症に注意するようにと、さかんに呼びかけられています。
のどが渇く前に、少しづつ水分を補給することが、体を守るのに大切なようです。
このように暑い日々を送ると、シカルという町も暑かっただろうと、考えることができます。
主イエスはファリサイ派との軋轢を避けるため、ユダヤからガリラヤへ行こうとされていました。
普通、ユダヤ人がユダヤからガリラヤへ行こうとするときは、サマリヤを通らない様に、ヨルダン川を渡って、大きく迂回していました。
ユダヤ人はサマリヤ人を宗教的な理由から嫌っており、交際をすることはありませんでした。サマリヤ人はモーセ五書だけを信じて、ゲリジム山で独自の礼拝を続けていたのです。
主イエス一行は、迂回はせずに、サマリヤを通ってガリラヤへ向かわれたのですが、主イエスは正午頃、シカルの町の井戸のそばに座っておられました。
暑いし、旅の疲れをおぼえておられたのでしょう。弟子たちは食物を買いに近くの町へ出かけていました。
すると一人のサマリヤの婦人が水を汲みに来ました。
当時、水は朝早く汲み、一日使用します。足りなくなれば、また夕方汲みに来て、昼間の暑い時に、水を汲みに来ることはなかったのです。
この婦人には、人が井戸に来る時間には来たくない理由があったのでしょう。
主イエスは、この婦人に、「水を飲ませてください」と話しかけました。
この女の人は、サマリヤ人と交際しない、ユダヤ人の男性が婦人に語り掛けたことに驚きました。
女の人の答えは少し冷たいものでした。「はいと」言ってすぐに水を汲みませんでした。
「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女のわたしに、どうして水を飲ませて欲しいと頼むのですか」(ヨハネ4:9)と、答えました。
すると、主イエスは不思議な事を言われました。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人は生きた水を与えたであろう。」(ヨハネ4:10)と語られました。
話しかけておられる方が、メシアであり、命を与えて下さるお方であることをしらない女の人は、「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか」(ヨハネ4:11)と、聞きました。
当時の人たちは、それぞれが長いロープの先に桶がついたものを持って来て水をくみ上げていたのです。主イエスはそれをお持ちではないと婦人は言っているのです。
しかし、水を飲ませてくださいと頼んだ方は、生きた水を与えると言われたのです。
もちろん、その水とは井戸の水ではなく、命の水であり、その水を飲んだ人の内で泉となって永遠の命に至る水が、湧き上がるとお教えになりました。
この女の人は、主イエスの話されていることは分かりませんでした。しかし、井戸の水の事だと思って、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」とお願いしたのです。
すると、主はこの婦人に、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」(ヨハネ4:16)と言われました。
婦人は、「夫はいません」と答えました。
主イエスはすべてを御存じでした。「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたはありのままを言ったわけだ。」(ヨハネ4:17)と指摘されました。
どのような事情があったのかは分かりませんが、5人の夫と別れて、今は結婚しないで男の人と生活しているということは、人から見下げられてしまうようなことになっていたのです。
この婦人の心には誰にも埋めることのできない空しさがありました。
この婦人だけではなく、人は皆心に罪を持ち、空しさを抱えています。
それを埋めるために、心を満たすための、さまざまなものを求めますが、完全に満たされることはないのです。
何かを手に入れれば、もっと欲しいという気持ちになり、渇きが治まることはありません。
主イエスはこの婦人に、御自分がメシア、救い主であることを教えました。
主イエスは、永遠の命に至る水を与えてくださいます。
救いの水です。命の水です。
この命の水は神の賜物です。(ヨハネ4:10)。賜物とは、神からのプレゼントで、無代価で与えられる恵みなのです。
主イエスは、サマリヤを通過され、一人の婦人に永遠の命に至る水を教えてくださいました。
主イエスの目は、誰にでも向けられていて、救いの御手を差し伸べてくださいます。
空しさの中に生きていた婦人は、主イエスに出会って、変えられました。人目を避けるような生き方であったのに、大切な水がめを井戸に残したまま、町へ出かけて行き、人々に主イエスが来られたことを知らせました。
人々はどうしたでしょうか。町から主イエスの許にやって来ました。
サマリヤの人々は、この婦人の話すことによって、主イエスを信じました。
そして、主イエスに自分たちのところにとどまってくださるように、お願いしたのです。主イエスは二日間も留まって、福音を伝えました。
そして、多くの人々が主イエスを信じました。
主イエスが、井戸の傍らで、この婦人に「水を飲ませてください」と語り掛けたのは、どれだけ自分の魂が乾ききっているかを自覚させるためでした。
自分の魂が渇いていることを自覚しなければ、命の水を求める事をしないからです。
神の賜物は「渇いている」ことを知っている人に与えられるのです。
命の水は、永遠の救いの確信と喜びをもたらします。
何をもっても満たされなかった魂が満たされ、潤されます。
主イエスの救いを喜び、その御言葉を喜び、賛美をささげながら歩み続けます。主イエスが一人の婦人に救いを伝えたように、その素晴らしい喜びを誰かに伝えます。
一人に伝えると、そこから救いの輪が広がります。救いは聖霊の業です。その福音の恵みの業に用いられることは、なんと幸いなことでしょうか。
私たちに与えられた聖霊は、命の泉となって溢れ流れます。
泉のように溢れ流れて、主イエスのすばらしさを現しながらの生活であるように、さらに恵みを求め続けたいと思います。
「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」
(イザヤ12:3)
神のすばらしい賜物をいただき、救いを感謝し、伝えて参りましょう。

今週のみことば
「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を飲む。」
 イザヤ書12章3節


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