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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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今日も心を合わせて礼拝をささげましょう。
私たちの天の父を心から崇めましょう。
主イエスは30歳で公の生涯にお入りになりました。3年6か月の間、神の国の福音を伝えてくださいました。
主イエスは、ベタニアからガリラヤへ行こうとされていました。
三日目にガリラヤのカナで結婚式がありました。
主イエスの母マリアがそこにいました。主イエスと弟子たちも結婚式に招かれていました。
カナという町は主イエスがお育ちになったナザレから15キロほどの所にありました。
マリアが結婚式のお世話をしている様子が見られる所から、マリアの親戚の結婚式ではなかったかといわれています。
当時の結婚式は一週間ほど続きました。招待客も多く、ぶどう酒は相当の量を準備したはずでした。
ところが、ぶどう酒がなくなってしまいました。予想よりも招待客が多かったのでしょう。
ユダヤではぶどうは祝福のしるしの一つでした。また、ぶどう酒も喜びと祝いの象徴でしたから、結婚式でぶどう酒が足りなくなってしまうなど、考えられない失態でした。
マリアはこの結婚式の責任を持っていたようです。そこで、主イエスの許に来て、「ぶどう酒がなくなりました」と訴えたのです。
今、困っていることをそのまま主イエスに伝えました。
マリアには、主イエスなら必ずこの事態を解決してくださるという確信がありました。
主イエスの答えは、難解でした。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハネ2:4)という返答でした。
自分の母に対して、「婦人よ」と呼びかけるのは、不思議に思いますが、当時はこの呼び方は、婦人にたいして敬意をもって呼びかける時の言葉でした。
「わたしとどんなかかわりがあるのです。」という言葉も、あなたとわたしは何のかかわりもないというのではなく、「あなたと私の関心は違います」という意味でした。
マリアの関心事は、ぶどう酒がなくなったという切迫した事実でした。
しかし、主イエスの最大の関心事は、やがて全世界の罪の贖いとして十字架に架られるという事でした。
主が言われている「わたしの時」とは、まさに十字架の時のことでした。
主イエスが十字架に架られる直前には、「人の子が栄光を受ける時が来た(ヨハネ12:23)と、宣言なさいました。
カナの結婚式の時は、まだ十字架の栄光の時ではないと言われたのです。
主イエスは、神でありながら、罪人を救うために人としてこの世に来てくださいました。主イエスの生涯は、すべて十字架に向かわれる生涯でした。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 (Ⅱコリント5:21)
私たちは、主イエスの十字架によって罪赦され、神の子とされて永遠の命を持つ事が出来ました。
主イエスの最大で唯一の関心事は、人の救いの為に命を捨てる事でした。
母マリアは、主の返事を聞いてどうしたのでしょうか。
召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言いました。
主イエスは、主の方法で必ず解決してくださるという確信があったからです。
そこには、大きな水がめが六つ置いてありました。一つに水がニから三メトレス入る水がめでした。80ℓから120ℓ入る大きなかめでした。
当時は外出先から帰った時や、食事の前には汚れをぬぐうために、水で手足を洗う習慣がありました。衛生面ではなく、宗教的な規則によってそのように身を清めていたのです。
主イエスは、召し使いたちに、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と命じられました。
水は離れた所にある井戸から汲まなければなりません。
重い水を、井戸まで何往復もして、汲まなければなりませんでした。
しかし、言われた通り、召し使いたちは、黙々と水を汲みました。
それから主イエスは、水をふちまで満たしたかめを、宴会の世話役の所まで持っていくようにと言われたのです。
世話役は水の味見をして驚きました。
このぶどう酒がどこからきたのか知らなかったのです。それで、花婿を呼びました。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」(ヨハネ2:10)と言いました。
ぶどう酒は最良のものだったのです。
ぶどう酒が無くなったと思ったら、こんなに良いぶどう酒を大量に備えていたのですねと、花婿を褒めたのです。花婿は何が何だか分からなかったでしょう。どうしてこのようにすばらしい結果を得られたのか、
水を汲んだ者たちは知っていました。
主イエスが言われた通りに、従ったからです。
水が重くていやだとか、何でこのようなことをしなければならないのかと、従わなかったら、最良のぶどう酒はなかったでしょう、
私たちも生活の中で、急に困ったことが起きることはあります。
自分が思っているように事が運ばなかったり、病気や思わぬけがをすることもあります。
仕事や生活に行き詰まりを覚えて、苦しむこともあります。
得られると思っていたものが、指をすり抜けていくこともあるでしょう。
思い荷を担うような思いをすることもあります。
しかし、主イエスはすべてを御存じです。
私たちはまず、主イエスにありのままを率直に伝えればよいのです。
主イエスはぶどう酒はお持ちではないし、近くに売っているところもなかったに違いありません。しかしマリアはただそのままを訴えました。
「ぶどう酒がなくなりました。」
わたしたちも、ありのままをお伝えしたらよいのです。
主イエスは、主イエスの方法を示されます。そうしたら、それに従えばよいのです。なぜと疑問が湧きおこったら、主イエスは完全なお方だと信じることです。
主は私たちの生活にも、すばらしいことをなさるお方です。
パウロは小アジアで宣教することを、聖霊によって阻まれました。
何とかして宣教をしたいとトロアスまで行きました。そこでマケドニアの救いを訴えるマケドニア人の幻を見ました。ただちにパウロは神の御計画を確信して、マケドニアに渡り、初めてヨーロッパに福音が伝えられました。世界に向けて福音が伝えられ始めました。神の救いの御計画でした。
私たちも重たい水を運ぶような時があります。しかし、それは祝福と栄光の前触れです。主イエスはこの最初のしるしを、結婚式という幸いな祝いの時になさいました。私たちも日々主イエスのなさる栄光の御業を拝して、喜びと感謝をささげましょう。
今週のみことば
「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」
ヨハネによる福音書2章5節
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