阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年8月11日
第2聖日礼拝
「その声を知っている」
ヨハネによる福音書10章1-6節

  猛暑の日々ですが、守られてきょうも礼拝をささげることができました。心から感謝します。
私たちの天の父をほめたたえましょう。
いつも私たちを守り、導いて下さる救い主を崇めます。
神でありながら人としてこの世に来て下さり、十字架で世の罪の贖いを成し遂げてくださった方は、御自分を良い羊飼いと表現なさいました。
主はヨハネ10章で2度ご自分を良い羊飼いと紹介されています。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊の為に命を捨てる」(ヨハネ10:11)。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる」
(ヨハネ10:14)。
主イエスは、良い羊飼いであり、良い羊飼いは羊の為に命を捨てると宣言されています。
真の神を信じようともせず、罪を罪とも思わないような者たちの為に、主イエスは十字架で命を捨てて下さいました。
神は究極の愛を十字架で教えてくださいました。
「正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:7,8)
この、どこにもない神の愛が、羊である私たちを羊飼いである主についていくように促すのです。
主イエスの十字架はほかの誰の為ではない、自分の為であったことを覚えましょう。
イスラエルでは大昔から羊を飼っていました。イスラエル2代目の王となったダビデも少年のころは、父親エッサイの羊の番をしていました。
主イエスがお生まれになったときは、野で羊の番をしていた羊飼いたちに天使がメシアの誕生を告げ、天の軍勢がグローリアの大合唱をしました。
このように、だれでも羊と羊飼いについては、身近で見聞きし。良く知っていることなのでした。
羊は夜になると羊の囲いの中で休みました。
羊の安全を守るために囲いが作られていて、そこには門がありました。
主イエスは、羊飼いは門から入ると言われています。
門には門番がいて、羊飼いには門を開きます。
門を通らないでほかの所から押し入る者があれば、それは盗人であり強盗なのです。
朝、羊飼いが囲いに入ると、自分の羊の名を呼んで連れ出します。
自分の羊をすべて連れ出すと、羊飼いは先頭に立って歩きます。
「羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである」(ヨハネ10:4,5)
羊は羊飼いの声をよく知っています。羊飼いだけについて行くのです。
主イエスはこのたとえをファリサイ派の人々に語りました。しかし、ファリサイ派の人々には何のことだか分かりませんでした。
ヨハネ9章には、主イエスが生まれながらに目の見えない人を癒したという出来事がしるされています。
ファリサイ派の人々は、主イエスとそのなされた御業を認めようとはせずに、癒された本人や両親に、執拗になぜ目が明いたのかと問いただしました。目が癒された人は、ファリサイ派に、「生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」(ヨハネ9:32,33)と答えました。
それでもファリサイ派はどうしても認めようとはせずに、この人を外に追い出しました。
外に追い出すというのは、ユダヤ人の会堂から追放するということで、社会的にも宗教的にも孤立することになってしまうのです。
主イエスはこの人と会って下さり、その信仰を受け入れてくださいました。
しかしファリサイ派には、自分たちが見えない者であると指摘されました。霊的な盲目です。
「見えるとあなたたちは言っている。だからあなたたちの罪は残る」(ヨハネ9:41)とお語りになりました。
自分たちは何もかもよく知っていて間違いはない。神の戒めを落ち度なく行う者だという自負心をもっていたファリサイ派は、高慢で悔い改めることはできませんでした。
主イエスは彼らを「盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」(マタイ15:14)とも言っておられます。
羊は、良い羊飼いの声を聞き分けます。そして、羊飼いについて行きます。
羊は今日、どこに行くのかはわかりません。羊飼いが知っておられるのです。羊飼いは、羊が必要なものすべてを知っておられます。
羊の命を守ります。
羊の為には命さえ捨てて下さるのです。
人には明日の事、いえ、今日のこともわかりません。何が起こるのか知る事はできません。ヤコブの手紙4章14、15節には、「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。・・・むしろ、あなたがたは『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」とあります。主の前に謙遜になる様にと教えているのです。
先週は宮崎で大きな地震がありました。南海トラフにかかわる地震の恐れがあると報道されています。
台風も発生しているそうです。災害や危険があっても自分で自分を完全に守ることは難しいのです。
良い羊飼いである主イエスは、羊をどのように守られるのでしょうか。
「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」(ヨハネ10:10)。と宣言されました。
罪人を救い、十字架で罪を赦し、永遠の命を与えてくださったことを、しっかりと覚えましょう。私たちは毎日、良い羊飼いである主イエスの御声を聞き分けているでしょうか。
この方にだけ従い続けているでしょうか。それならば、すべてが平安であり、安心なのです。なぜなら、羊飼いは羊に最善をなして下さるからです。
少年サムエルは、主が名前を呼ばれた時、それが主のお声だと知りませんでした。祭司エリが呼んでいると思って、二度エリの許に行きました。三度目にエリの許に行ったとき、エリは主が呼ばれていることに気が付きました。それでサムエルに「、主よ、お話ください。僕は聞いております」と言いなさいと教えました。三度目に主がサムエルに臨まれた時、サムエルは「どうぞお話しください。僕は聞いております」(Tサムエル3:10)」とお答えしました。
神が語り掛けられ、ご自分の御言葉を下さる。私たちは聞いて悟り、従う、それが祈りの時であることを覚えましょう。
良い羊飼いに愛され、導かれて行き、私たちは今日も、これからも従い続けられることを、心より感謝しましょう。

今週のみことば
「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。
 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
 羊はその声を知っているので、ついて行く。」
 ヨハネによる福音書10章3-4節



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