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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「日々新たにされる」
コリントの信徒への手紙U4章16節 |
全能の父なる神様を賛美します。
天の父は、私たちにいつも最善を備えて、大きな恵みに満たして下さいます。
今日も心を合わせて、礼拝をささげましょう。
私たちは、それぞれがそれぞれの時に、主イエスの十字架の贖いによって救われました。
罪を犯しても罪とは知らずに、暗闇の中を進んでいても、暗闇とも分からず、滅びへと向かっていました。
憐れみ深い主は、そのような者を愛し、救いへと導いて下さいました。
この世の生を受けた肉の命だけではなく、主イエスの十字架による、新しい命を与えてくださいました。
主イエスを信じる者は、神の子であり、永遠の命に生かされていることを、しっかりと心に覚えて、歩もうではありませんか。
Uコリント4章16節には、「だから、わたしは落胆しません」とあります。
それは、この手紙を記したパウロの信仰の告白ともとれる御言葉です。
福音宣教のために戦い、迫害され、また、教会問題で悩まされたパウロは、それでも落胆しないと4章1節でも告白しています。
主イエスこそ救い主であることを宣べ伝え、主イエスの僕であることを喜び、信仰によって伝道者の働きを続けられることを誇りとしたのです。
どんなことがあっても失望しないで、主イエスを仰ぎました。
「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方にくれても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」(Uコリント4:8、9)と信仰の勝利を宣言しています。
それは、永遠の命、復活の命に生かされていたからです。
だから何があっても落胆しないのです。
主イエスを信じ、永遠の命をいただいた者の希望と力は、主イエスを復活させた神が、私たちも復活させてくださるという希望です。
「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、私たちは知っています。」(Uコリント4:14)「御前に立たせてくださる」という言葉は、「御前に連れて行って下さる」という意味です。
この御言葉こそが信仰者の確信であり、希望と力なのです。
やがて復活し、主の御前に立つ時が来る、それが望みであり、生きる力となるのです
だからパウロは何があっても決して落胆しませんでした。
この希望があるから、信仰者は何があっても落胆しない、元気を失って力尽き、疲れ果てた状態にはなりません。
主イエスの力ある御腕に支えられるからです。
パウロは続けて、「だから、私たちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(Uコリント4:16)と、言い切ることができました。
だれでも、年齢を重ねていきます。
年と共に体力が衰えたり、気力が萎えたり、思わぬけがや病気に悩まされることもあります。
だんだん気が弱くなって、あれもこれももうできないと悲しい思いをすることもあるかもしれません。
「外なる人」とは、生まれつきの肉の体です。
コレヘトの言葉12章6以下に、「白金の糸は絶たれ、黄金の鉢は砕ける。泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る」(コレヘト12:6,7)
この著者は、人が人生を終えることが空しいと嘆くのですが、キリストに贖われた者は違います。
確かに外なる人は衰えていきます。
若い時にはできたことが出来なくなるかもしれません。しかし、落胆はしないのです。なぜなら、「内なる人」は日々新たにされていくからです。
毎日新しくされるのです。大変な恵みです。
内なる人とは、キリストに贖われ、罪許され、新生した命の事です。
私たちは、朝も夕も、いつも祈りますが、朝毎に、「今日もわたしの内なる人を新しくして、新しい力と恵みを下さい」と、祈っているでしょうか。毎日新しい力を下さるお方を信じて祈りましょう。
新しい命、新しい恵み、新しい希望、新しい力、新しい信仰に満たされます。うなだれる必要はありません。
悩みや苦しみも洗いざらい主イエスに打ち明けましょう。重荷も主に明け渡せばよいのです。
主イエスは私たちに、わたしは、あなたのその問題をも背負って十字架に架ったと言って下さるのです。
主はもうそれは私に渡して、委ねればよいのだと言われています。
私たちに必要なのはなんでしょうか。それは、キリストを信じて救われたという信仰です。確信です。
もし、確信を失っているなら、祈りましょう。
新しい力をいただくことができます。
「主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)
主に望みをおく人は幸いです。
反対に、信仰の確信がないと、さまざまな大切な点で大失敗をしてしまうのです。
エジプトで苦役を強いられていたイスラエルは、呻き、神に助けを求めました。その声を聞かれた神は、モーセを立てて、数々のファラオとの交渉の末、カナンを目指してエジプトを脱出しました。
過ぎ越しを体験しました。
旅を続けたイスラエルは、ヨルダン川を渡る所まで進みました。もうカナンは目の前です。約束の地に入るのです。
ところが、12人の斥候を送ってその地を探らせると、その地の民は大きく強そうで、戦うなら必ず負けてしまうと、10人が口をそろえて報告しました。
ヨシュアとカレブだけが、神が与えておられる地だから進もうと提案したのですが、人々は恐れてヨルダンを渡ることをしませんでした。
エジプトでの奴隷の状態から救われて、故郷へ帰れるのに、不信仰の為に進むことができませんでした。それから荒野の40年の旅が始まり、ヨシュアとカレブのほかは、エジプトを脱出した世代は約束の地に入れませんでした。
せっかく主イエスの十字架で新しい命をいただいたのに、元の暗闇に戻るようなことがあってはなりません。
信仰によって、天の御国を目指して進みます。
信仰は聖霊に満たされて、御言葉に従いながら進む姿勢です。神の言葉を喜び、一日中口ずさむことができるのです。何と幸いでしょうか。
私たちは、この世に生きているときも、御国にいるのです。神のご支配の中に生きています。
やがてこの世の歩みを終えても御国にいるのです。
天地の違いはありますが、さきに召された人と同じ御国に生きています。
時がくれば私たちも召されて、天での再会を喜ぶ事が出来ます。
復活の希望を持ち続けるのです。
今日から、もう一度自分の信仰を探り、内なる人が日々新しくされていることを確信して、主イエスと共に進み行きましょう。
今週のみことば
「たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、
わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」
コリントの信徒への手紙U4章16節
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