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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「喜びなさい」
フィリピの信徒への手紙4章4-7節 |
台風の影響でYouTubeでの礼拝になりました。教会には集まれませんでしたが、それぞれの所で心を合わせて、天の父に向けて礼拝できることを感謝します。今日も霊と真をもって礼拝をささげましょう。
神の御言葉は私たちの魂の糧です。祈りは霊の呼吸です。人は食事もせず、呼吸もしなければ、生きられません。
霊の糧を豊かに頂き、天の父との会話である祈りを続ける時、私たちの信仰は生き生きと輝くのです。
きょうも、天の父が与えてくださる御言葉を喜びましょう。
フィリピの信徒への手紙はパウロがローマの牢獄に捕らえられていた時に記された手紙です。ですから獄中書簡と呼ばれています。
フィリピの教会はどのようにして建て上げられたのでしょうか。
パウロたちは、小アジアで伝道をしたいと思い、何とかして進もうとしましたが、聖霊はそれを止められました。
トロアスに下って行ったとき、そこでマケドニア人の幻を見ました。
「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」
(使徒16:9)と願いました。
パウロたちは神の御心がヨーロッパ伝道にあることを悟り、直ちにマケドニアに出発して、フィリピに到着しました。
紫布を商うリディアと出会い、伝道の足掛かりを得ました。
ところが、パウロとシラスは占いの霊に取りつかれた女奴隷を癒したことから,逮捕、投獄され、何度も鞭打たれて獄屋に投げ込まれてしまいました。酷い扱いです。
真夜中、パウロとシラスは賛美をしていて、囚人たちはその賛美に耳を傾けていました。
突然地震が起こり、牢の戸は開いてしまいました。牢屋番は囚人が皆逃げてしまったと思って、自害しようとしましたが、パウロは大声でそれを止めました。恐れおののいた牢屋番は、その夜のうちに悔い改め、家族ともどもバプテスマを受けました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16:31)。
リディアは高価な紫布を扱う裕福な商人で、パウロたちを家に招き、宣教の基礎を作りました。
牢屋番はローマ帝国の下で働く、どちらかと言うと地位のない人でした。
様々な人々が集いましたが、確実に宣教は進み、異邦の地であるヨーロッパで、キリストの教会が誕生し、成長していったのです。
パウロの生涯は、ダマスコ途上で復活のイエス・キリストに出会ってから、ひたすら福音を伝える生涯でした。困難が続きました。
「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度。石を投げ付けられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました」(Uコリント11:23−25)と述懐しています。
これらの事のほかにも多くの試練と困難の中に、キリストを伝えていきました。
パウロは、ローマ皇帝に自分の裁判の上訴をするためにローマへ行きました。囚人として捕らえられているにもかかわらず、パウロは喜びの手紙を書いたのです。
一体喜びはどのように生まれるのでしょうか。
「主において常に喜びなさい。重ねていいます。喜びなさい。」(フィリピ4:4)
主イエス・キリストにある喜びです。
主イエス・キリストが私たちの魂に与えてくださる喜びです。
私たちは、主イエスにあって喜ぶことができるのです。キリストの命の中を歩み、本当に親しい関係を持ち続ける時に、喜びに満たされるのです。
必要なのは、いつも主イエスに結ばれていることです。主イエスの命に生きることです。
たとえ、どのような試練の中でも、苦しみの中でも、主イエスの喜びが湧き上がり、満たされるのがキリスト者の恵みなのです。
また、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主は近くにおられます。」(フィリピ4:5)と勧められています。
広い心とは、寛容な心で人を愛する者であるという意味です。
そのような者に主はしてくださるのです。なぜなら、主イエスはすぐそばにおられるからです。
主イエスはいつも私たちと共におられるのです。
さらに、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)と勧めています。
喜ぶ人は、思い煩いから解放されています。
人は心に悩みを持ち、あれこれと思い煩う心を持っています。しかし、どんなに思い煩っても、何も解決しないのです。
主イエスは、この世の事で思い悩むなと教えておられます。
私たちの精神的な悩みも、生活の具体的な悩みも、主はすべてご存じで、支えてくださり、必ず祈りに答えて解決してくださるお方です。
必要は必ず満たされるから、主イエスを信じて祈るのです。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:33,34)
主は、私たちに、あなたの持っている問題、罪、重荷を私に渡しなさいと、手を差し出していてくださるのです。
全てを委ねる人は幸いです。
祈りは神との会話です。私たちは天の父を「アッバ、父よ」とお呼びする事が出来ます。「アッバ」とは、幼児の言葉で「お父ちゃん」ということばです。
幼い子が父親にたどたどしい言葉で、いろいろお願いするように、私たちも祈ります。
自分の心を注ぎ出すのです。父は聞いて下さいます。
「求めているものを、神に打ち明ける」ことができるのは、大きな恵みです。
感謝を込めて祈りましょう。主が良くしてくださったことの数々をいつも覚えながら祈りましょう。
私たちの心は神の平和によって守られます。
「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:7)
人の考えが及ばない、また、考えつくこともできない、はるかに大きい神の御心は、私たちの心に働きかけて、平和(平安)を与えてくださいます。
主イエスは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして私をも信じなさい」(ヨハネ14:1)と言われました。
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ27)と約束され、励ましておられます。
キリストの十字架によって贖われた者には、このようなキリストの平和が与えられているのです。
すべての問題を主に委ねて、平安と感謝を持って祈りましょう。主は近くにおられます。アーメン
今週のみことば
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリス・トイエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。」
テサロニケの信徒への手紙T 5章16-18節
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