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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「イエスが歩まれたように」
ヨハネの手紙T2章6-11節 |
先週の日曜日は、召天者合同記念礼拝をささげ、午後は久しぶりに和田寺霊園で墓前祭を行うことができました。雨も小雨になり、滞りなくすべてを行う事が出来ました。
すべてに主の祝福があったことを感謝します。
主イエスはいつも折に適った素晴らしいことをしてくださいます。
先に召された主にある兄姉を記念する時、いつも心に覚える詩編があります。
「わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消え失せます。人生の年月は七十年ほどのものです。健やかな人が八十年を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。御怒りの力を誰が知りえましょうか。
あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(詩篇90:9−12)。
人は誰でも罪を持ち、罪ある者は神の御怒りから免れ得ない者であったのに、尊いキリストの十字架の贖いによって、罪を赦され神の子とされました。
人の人生は瞬く間に過ぎ去ります。ペトロの手紙にも、「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです」(Tペトロ1:24,25)とあります。
人の人生の年月は瞬く間に過ぎ去ります。
その人生を豊かなものにするために、主の御言葉を聞かなければなりません。
ヨハネの手紙は、ガリラヤ湖の漁師だったゼベダイの子、ヤコブの兄弟だったヨハネによって記されました。
ヤコブは、使徒として最初の殉教者になりましたが、ヨハネは長生きをして、愛の使徒と呼ばれるようになりました。
主イエスの十字架によって贖われた者の、その救いにふさわしい歩み方が示されています。
ヨハネの手紙T 2章4節には、「神を知っている人」、また、6節には「神の内にいる人」という言葉が使われています。
ヨハネはそのような人々に教えようとしています。
つまり、キリストを信じ、救われている私たちに対してのメッセージであることに注意しなければなりません。
御言葉には、私たちに対して、「主イエスが歩まれたように歩みなさい」と、あります。
ヨハネは、ここに書いていることは、古い戒めであると書きました。それは、すでにあなたがたが知っていることです。しかし、現実の生活ではどうでしょうか。そのように歩んでいますかと、問いかけているのです。古い戒めとは、旧約聖書で教えられているモーセの律法の事です。
これを守ることによって、祝福をいただけるとわかっていても、実際に律法を守り切れる人はいません。
神は、約束のメシアをお遣わしになり、律法を守ることによってではなく、救い主を信じて救いが与えられるようにしてくださいました。
信仰によって義とされるのです。今は、信仰により、恵みにより救われるすばらしい時なのです。
一体旧約聖書では何が教えられているのでしょうか。約束のメシアが来られるということです。
旧約聖書は、キリストの光に照らされて明らかにされるのです。
ヨハネは古い戒めを、新しい戒めとして記しました。
主イエスが一番大切なこととして教えられていることとは、どのようなことでしょうか。
マタイ22章36節以下には次のようにあります。
主イエスを試そうとして、律法の専門家が主に質問しました。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
(マタイ22:36−40)
律法全体と預言者とは、旧約聖書のことです。
神を愛し、隣人を愛することが、中心であり基本の教えです。
ローマ人への手紙にも、「人を愛する者は、律法を全うしているのです。・・・どんな掟があっても、隣人を自分のように愛しなさいという言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」(ローマ13:8−10)とあります。
主イエスも、最後の食事の時に弟子たちに新しい戒めとして教えておられます。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13:34−35)と教えておられます。
十字架直前のお言葉ですから、これは主イエスの遺言とも理解できます。
ヨハネは「闇」という言葉を使っています。闇とはどのような状態を言うのでしょうか。本当の闇は真の神を知らないで歩むことです。
真の神が自分を愛しておられるということを、知らないで生きることです。
しかし、もうすでに神の愛は注がれています。なぜなら「神は愛」だからです。
天の父が私を愛し、守り支えていてくださることを知っている人は、平安と喜びに満たされます。
試練や苦難があっても、神にすべてを委ねて愛を信じる事が出来ます。
闇は去り、まことの光輝いているからです。
主イエスこそ真の光です。主の光に照らされて、主イエスの掟を喜びとする事が出来るのです。
「兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。」(Tヨハネ2:9)。
主イエスを信じると、人を憎むという感情が消え去っていることに気が付きます。主イエスを信じる前は、事あるごとに人と対立し、欠点を攻撃しあうようなところがありました。
しかし、神の愛に満たされると、心の中には平安が湧き上がり、自然に許す心になります。
主の祈りには、「私たちがゆるしたように、私たちもゆるしてください」という祈りが含まれています。
「闇が去って、既にまことの光が輝いているからです」
(Tヨハネ2:8)
私たちは暗闇の中は歩みません。まことの光の内を歩み続けます。
まことの光、主イエスが与えてくださるのは、永遠の救いです。永遠の命です。
この方を信じる者は死んでも生きるのです。
救い主が私たちの歩みを照らして下さり、「私が歩んだように歩み続けなさい」と、御声をかけ、手を差しだして支え、導かれることを感謝します。
永遠の光、永遠の命の中を歩み続けられることを、心から感謝しましょう。
今週のみことば
「神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように
自らも歩まなければなりません。」
ヨハネの手紙T 2章6節
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