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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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今朝も主の臨在の中に礼拝をささげられ、感謝をいたします。
私たちを愛して、受け入れ守ってくださる主を見上げて礼拝しましょう。
使徒ヨハネはその手紙の中で繰り返し、神は愛であること、愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださると教えています。
さらに、「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(Tヨハネ4:19)と記しました。
神を愛し、兄姉を愛し、隣人を愛することが神の教えの中心であり、基本であることを繰り返しました。
ところが、人の心にあるものは、愛からほど遠い、罪であることがわかっています。
もちろん、愛の心も持っています。しかし、それは人が持つ愛で、限度と限界があります。
価値あるものへの愛、自分が愛する存在への愛です。不幸な人に対する同情を覚えることができます。できる限りのことをしたとしても、命までささげることは難しいでしょう。
神の愛はアガペーの愛、無償の愛、価値のない者への愛なのです。
ヨハネの手紙T 5章1節には、「イエスがメシアであると信じる人は皆、」とあります。また、5節にも、「イエスが神の子であると信じる者」とあります。
キリスト者は、イエスがメシア、すなわちキリスト、神の子であることを信じて告白した者です。
聖書では、キリストという言葉をメシアと訳している箇所があります。キリストもメシアも「油注がれた者」という意味で、イスラエルでは王、祭司、預言者になる人の頭に油を注ぎました。
イエスが王、祭司、預言者の役目を果たされる救い主であることを現わしています。
福音が伝えられていっても、なかなか救い主を信じる人がいないことを不思議に思います。せっかくまことの救いが表されているのにと思います。そのような状況の中でも、私たちは主イエスを信じました。
それは、「神によって生まれた」(ヨハネ1:13)からだと記されています。
「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(ヨハネ1:12、13)。
言、(ロゴス)とは、イエス・キリストの事です
神の子とされるために、人は何をすればよいのでしょうか。
どのように罪深い生活をしていても、悔い改めてイエスをキリストと信じるなら、神の子とされます。
聖霊によって新しく生まれるのです。新生と言います。
主イエスがゴルゴタで十字架に架けられた時、右と左に犯罪人が十字架に架けられました。
大勢の人たちが十字架の主をあざけりました。犯罪人の一人も主をののしりました。
しかしもう一人は、ののしった犯罪人をたしなめ、主イエスに御国へ入れて下さいとお願いしました。
自分たちは犯罪人だから、十字架刑も仕方がないが、主イエスは何も悪いことはしていない、そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言ったのです。
主イエスはどのようにお答えになったでしょうか。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
(ルカ23:42,43)と約束してくださいました。
十字架の上で、死を目前にして悔い改めました。楽園とは、パラダイス、天の国をあらわします。
この人は新しく生まれ変わりました。神の子とされたのです。
キリストの福音が伝えられると、人の心の中に必ず聖霊が働かれます。
種が蒔かれなくては、作物や花は絶対に実らず、咲くこともありません。
私たちが魂の救いを祈り、福音の種まきをする時、聖霊が働かれます。
救いは神の御業なのです。
私たちも救われて神の子とされました。素晴らしいことです。
ヨハネの手紙T 5章3節には、「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。」と記されています。
「難しい」と言う言葉は「重荷」という言葉と同じです。ですから神の掟は重荷ではありませんと言っているのです。
主イエスがこの掟を私たちと共に担って下さるからです。
私たちの肉の力ではなし得ないことを、主イエスは聖霊を遣わされて、力を下さいます。
神の愛に満たし、主イエスに支えられて、聖霊の力によって、私たちを神の子にふさわしく整えてくださいます。
神の掟は難しくないと教えてくださる理由は、さらにあります。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。」(Tヨハネ5:4)
世とは今私たちが生きている世の事です。
「わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。」(Tヨハネ5:19)とあります。
真の神を信じようともせず、自分の利益を求めるためには、人のことなど構わないという世の中です。国家の間の争いや、犯罪が絶えないのは、愛が冷えて、サタンに心を支配されているからです。
世を支配するサタンは、神の子たちさえ惑わそうと、いつも画策します。すきを突かれ、足元をすくわれてはなりません。
ペトロの手紙には、「思慮深くふるまい、身を慎んで、良く祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(Tペトロ4:7,8)とあります。
信仰をもってしっかりと祈る事と、愛は人を赦すと教えているのです。
この世は私たちさえ、何とかして、キリストの愛から引き離し、罪の中へ引き戻そうと働きかけます。
神の恵みよりも、この世の楽しみの方がすばらしいように、振り向かせようとします。しかし、この世には永遠の救いも喜びもありません。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。」(Tヨハネ5:4)
イエスが救い主、キリストであると信じる神の子は、常に信仰によって勝利するのです。
主イエスがすでに十字架に架られて死んで,蘇られて、罪の世と死に勝利されたからです。
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(Tヨハネ5:4,5)世に打ち勝たれた主イエスを信じる信仰によって、私たちも既に世に勝利していることを、しっかりと覚えなくてはなりません。
パウロもまた、「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちはわたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:37−39)。
信仰は勝利です。神の愛に満たされ、人を愛し、キリストの愛を表し、この世に告げていきましょう。
今週のみことば
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」
ヨハネの手紙T 5章4-5節
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