阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2024年10月20日
第3聖日礼拝
「愛は律法を全うする」
ローマの信徒への手紙13章8-10節

 今朝も主の臨在の中に集い、礼拝をささげられる特権と恵みを感謝します。礼拝は私たちの信仰の告白であり、中心です。
霊と真を持って礼拝をささげましょう。
私たちへの神様の愛は、主イエスの十字架で表されました。
生まれながらに怒りの子、すなわち、神の怒りを受けるような存在であり、罪のために滅びへと向かっていた者を、十字架の愛で救って下さいました。
エフェソ2章1−5節には、「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上
なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし・・・・」とあります。
十字架で罪を赦し、キリストと共に新しい命に生かされている恵みを覚えましょう。
キリストの愛によって、生かされている者たち、キリスト者の歩みについて聖書は教えています。
互いに愛し合うことのほかには、だれに対しても借りがあってはなりません。
たとえば、個人間での金銭の貸し借りがあった場合、いつまでもそのままにしておいてはいけないと教えています。
もしも、返済を忘れていたりすると、人間関係にひびが入る可能性があります。
たしかに、主イエスは、「人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。」(ルカ6:35)と教えられました。天の父が憐み深いように、あなたたちも憐み深い者となるようにとの教えです。
ローマ13章8節の「借り」という言葉は、「果たすべき義務がある」という意味の言葉です。
ですから、ここでは単に貸し借りのことだけを言っているのではなく、だれにでも「果たすべき義務がある」と示しているのです。
それは、「互いに愛し合うことのほかは、」とあるように、互いに愛し合う事の大切さを教えているのです。
愛は律法を全うするからです。
キリスト者の果たすべき責任とはどのようなことでしょうか。
私たちは、神に愛され、同じ信仰の兄姉にも愛されていることを知っています。愛されていることを、パウロはいわば愛の負債として表現しているのです。
他の人から愛を借りて、その愛を返していく、そのようにして愛し合うのです。
もちろん、当然神の愛が土台になっています。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」
(Tヨハネ4:10、11)。
私たちに繰り返し、教えられている御言葉です。
罪ある者を救うために、神は大切な独り子を世に遣わされて、十字架に架けられました。
世の罪を背負われて、主イエスは十字架で死んでくださいました。
主イエスが十字架で息を引き取られる時、「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)と言われました。
主イエスは十字架で私たちの罪の負債を、完全に支払って下さいました。贖いは完了したと言われて、死んでくださったのです。
主イエスは三日目に甦られて今、生きておられるお方です。
生きて私たちの為に執り成し続けていてくださることを、感謝します。
律法には、人が守るべき戒めが教えられています。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」(ローマ13:9)。
ファリサイ派たち、律法学者たちは、それらを完全に守っていると自負していました。
主イエスはどのように教えておられるのでしょうか。
主イエスは心の罪を教えておられます。みだらな思いで他人の妻を見る者は心の中で姦淫の罪を犯したと言っておられます。
大変高い道徳的な教えで、だれでも心の中には、悪意や憎しみ、裁きなどがあることを否むことはできません。
律法を完全に守ることはできません。
しかし、主イエスは新しい戒めを与えてくださいました。
「人を愛する者は、律法を全うしているのです。」(ローマ13:8)。
「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」(ローマ13:10)。
主イエスは、善いサマリヤ人のたとえをお話になりました。
ある時、律法学者が主イエスを試そうとして、何をしたら永遠の命を受け継ぐ事が出来るかと質問しました。
主イエスは、律法にはどのように書かれているかと質問されました。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」
(ルカ10:27)とありますと、答えました。
主は正しい答えだ。それを実行しなさいと教えました。するとこの人は、自分を正当化するために「では、わたしの隣人とはだれですか」
(ルカ10:29)と聞いたのです。
それで、主は善いサマリヤ人のたとえでお教えになりました
旅の途中、強盗に襲われて瀕死の目に遭った人を助ける人はいませんでした。祭司もレビ人も向こう側を通って行ってしまいました。
次に通りかかったのはユダヤ人が軽蔑し、付き合うことのないサマリヤ人でした。サマリヤ人は彼を見て、憐れに思い、傷の手当てをして自分のロバに乗せて宿屋に連れてきました。翌日宿の主人に、デナリ銀貨2枚を渡して、手当を頼みました。もし足りなかったら帰りに払う事まで約束しました。
主イエスは、「この三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(ルカ10:36)と、問いかけられたのです。
律法学者は「その人を助けた人です」と答えました。主イエスは、「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)と教えたのです。
全く自分とはかかわりのない人を助けて、隣人となったのはサマリヤ人でした。
主イエスは、「あなたも同じようにしなさい」と語られました。
私たちにも神の愛が注がれ、聖霊が臨んでいてくださいます。
愛の負債を覚える時、何とかしてその負債を返そうと思うのです。
私たちにどのような事が出来るのでしょうか。
神の愛を伝えることです。
キリストの十字架の愛を伝えることです。
もし私たちが伝えなければ、救われることのない人たちがいるのです。
神は愛です。だれでも信じれば、救われ、神の子とされるのです。
神の愛を表し、世の人々に伝えていきましょう」。
主の栄光の御業を拝しましょう。

今週のみことば
「その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、
 この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。」
 ヨハネの手紙T 3章23節


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