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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「新しい恵みに生かされて」
ルカによる福音書5章33-39節 |
11月に入り、やっと秋の気配になりました。今年はまだ紅葉は見られないようです。11月なのに、台風のニュースがあります。温暖化の影響が表れているようです。
私たちを取り巻く環境は変わって行きますが、いつまでも変わらないのは主イエスと、その御言葉です。
主イエスを見上げ、信じて進みたいと思います。
ルカによる福音書5章を読むと、主イエスが多くのお働きをされていることに驚きを覚えます。
主イエスは、ゲネサレト湖畔で多くの人々をお教えになり、一晩中漁をして何も獲れなかったペトロに、沖に漕ぎ出して漁をするように命じられました。従うと網が破れそうになるほどの大漁でした。ペトロや、ヤコブ、ヨハネは、すべてを捨てて主に従いました。
主イエスは、重い皮膚病を患っていた人を癒されました。
また、中風の人が運ばれてきましたが、人がいっぱいで家に入ることが出来なかったので、屋根をはがして主イエスの所につり降ろしました。
彼らの信仰を御覧になって、罪を赦し、病をいやしてくださいました。
さらに、収税所に座っていたレビ(マタイ)を弟子としてお召しになりました。レビは自分の家で、主イエスのために盛大な宴会を開きました。取税人や罪人が大勢招かれて、席に着いていたので、律法学者やファリサイ派はつぶやきました。
主イエスは、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5:31,32)と教えてくださいました。
次に、断食について質問した人々に対して、たとえでお答えになりました。
たった1章のなかに、主のこれだけ多くのお働きが記されていることに驚きを覚えるのは、不思議ではないと思います。
主イエスは、枕するところもなく、働き続けておられたことを知る事ができます。
人々が、ヨハネの弟子たちは、しばしば断食し、ファリサイ派も同じようにしているのに、主イエスの弟子たちは断食をしないと非難しました。
当時のファリサイ派は、週に2度断食しなければならないと決めていたのです。
ファリサイ派たちは、断食、祈り、施しについて、この3点が守られているかを、信仰があるなしの重要な判断基準としていました。
主イエスの弟子たちは、断食と祈りをしていないようなので、主イエスを師とは認められないと糾弾しているのです。
断食の意味はどのようなものでしょうか。
この世のすべてのわずらわしさから解き放たれて、天の父との交わりである、祈りをつづけることが目的です。
断食の祈りをすれば、神が祈りを聞いて下さるというような、交換条件ではありません。あくまでも父との会話、交わりを、何ものにも邪魔されずに、行うことです。自分を聖別するためなのです。
主イエスは断食していることを人に見せようとして、偽善者のように、わざとやつれた姿を見せてはいけないと教えました。
「あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6:18)
主イエスは、彼らに「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる」(ルカ5:34、35)と、
不思議なことを言われました。
主イエスは花婿であり、弟子たちが婚礼の客であるとすれば、婚礼は花婿がいるので成り立ちます。喜びの場です、喜びの場では断食はありません。ところが花婿が奪い去られる時が来ます。
世の全ての罪を背負われて十字架に架かられる時が来ます。
それは、罪の赦しを与える時ですが、花婿が取り去られる時でもありました。
断食は悔い改めと悲しみをあらわすものでもあるのです。
現在、私たちは恵みの時代に生かされています。主イエスは約束の御霊を遣わされて、求める者を満たしてくださいます。
「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ)14:16)と、約束されていることを感謝します。花婿なる主イエスは永遠に共にいてくださるのです。
主イエスは、「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。」(ルカ5:36)と言われました。
今は恵みの時代です。律法という古い服は脱ぎ捨て、主イエスという新しい恵みと救いの服が用意されているのです。
だれでも十字架により、罪という衣を捨て去り、義の衣をいただきました。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3:23)この御言葉をしっかりと心に植え付けましょう。
主イエスは、「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方が良い』と言うのである。」(ルカ5:37−39)
と言っておられます。
収穫されたぶどうが、つぶされて濾され、革袋に入れて保存され、発酵してぶどう酒になります。
ぶどうを足で踏んでつぶす方法があったようです。
以前使用した古い革袋に、新しいぶどう酒を入れると発酵し続けるので、革袋が破れてしまい、革袋もぶどう酒もだめになってしまいます。
新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなくてはなりません。
私たちは、主イエスの十字架の贖いにより、罪赦されて神の子とされて、永遠の命に生かされています。
新しくされた者なのです。新しい革袋こそ生かされるところなのです。
主イエスが約束された聖霊が注がれて、教会が誕生しました。
私たちの心には新しいぶどう酒、聖霊が注がれ満たされています。
主イエスは、私たちが、新しい恵みの時代に、聖霊によって生きることを教えておられます。
日々、御言葉に聞き従いましょう。日々、聖霊に満たされましょう。日々祈りましょう。日々礼拝しましょう。日々、キリストに贖われた者として自分自身を神の前に聖別しましょう。
人の心は、定まらない事が多く、「古いものの方がよい」と思うことがあります。昔はよかったなどと思うのです。しかし、主イエスの救いについては、昔を振り返る必要はありません。
パウロは、主の救いと使徒としての召しを感謝し、ひたすら前を向いてゴールを目指し走り続けました。
「なすべきことはただ一つ。後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひた走ることです。」
(フィリピ3:13,14) 新しい恵みの中を進み続けましょう。
今週のみことば
「わたしは父にお願いしよう。 父は別の弁護者を遣わして、
永遠にあなたがたと一緒にいるように してくださる。
この方は、真理の霊である。」
ヨハネによる福音書14章16-17節
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