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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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クリスマス礼拝をささげられる喜びを感謝します。
クリスマスの季節になると、あちらこちらで光が輝きます。イエス様を信じていない人々や、商業施設の方がきらびやかに、華やかに光を演出します。
このように、クリスマスには光が輝くということが知られているのですが、実際には、なぜクリスマスに光なのかということは、なかなか知られていないのではないでしょうか。
あらためて私たちはまことの光、世の光として来られた主イエスを伝えなければと思わされます。
ルカはギリシャ人で医師であったと伝えられています。
1章ではルカがテオフィロという人に宛てた献呈の言葉があります。「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。」
(ルカ1:3、4)とあります。
テオフィロという人が誰なのかはわかっていません。「テオフィロ様」の様は、閣下という言葉と同じです。ユダヤ名ではないので、おそらくローマの地位ある人であったと考えられます。
ルカは、テオフィロに宛てて、主イエスの事を順序だてて書き記しました。それは、福音の教えが確実であることを、よく分かってほしいからだと動機が記されています。
さて、クリスマスは冬至に近い時です。今は、朝がなかなか明るくなりませんし、夕方になると5時前には暗くなり、一年で一番暗い時が長いのです。しかし冬至が過ぎると、だんだん光のある時間が長くなっていきます。
人は、暗闇よりも光の方が好きに決まっています。しかし、聖書は「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ」(ヨハネ3:19)と記しています。
なぜ光に来る事が出来ないのか、それは心の中の罪が、光を避けようとするからなのです。そのままでは闇のなかに苦しむだけであることを、覚えなくてはなりません。
闇が深ければ深いほど、光は輝きます。
救い主がお生まれになった夜、羊飼いたちが野で羊の番をしながら野宿していました。彼らは律法を知らない、また守ることもできない人々であると、蔑まれるような人たちでした。
しかし、喜びの光は彼らの上に照り輝きました。
ユダヤの人々は、長い間メシアがこられるということを待ち望んでいました。旧約聖書には、メシアの訪れと救いがしばしば預言されていました。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ9:5) 有名な預言です。救い主がやがて来られるのを人々は待ち望みました。
時が満ちて救い主がお生まれになったことが、野にいる羊飼いたちに伝えられました。主の栄光の光が輝き、羊飼いたちは恐れました。
天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:10−12)と告げました。
天使の大軍が現れて、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)と高らかに賛美しました。
この後、羊飼いたちはダビデの町、すなわちベツレヘムへ行って、幼子を探し当てて礼拝し、神を賛美しながら戻って行きました。
彼らはその出来事を人々に伝えました。彼らの心は神を崇め、賛美でいっぱいでした。
暗い、寒い夜の野での素晴らしい出来事でした。光に照らされ、救い主をお迎えできたのです。
彼らの心の中は喜びの光で満ち溢れ、家族や仲間たちと救い主誕生を祝いました。
いつの時代も、人の心は闇が支配します。多くの犯罪は心の闇が具体的に表に現れたものです。高齢者を狙う詐欺事件が頻発しています。
だまされて全財産を盗られた人々も多く報道されます。
どうしてこのようなひどいことができるのでしょうか。人の心にある罪が原因です。自分の欲求さえ満たされれば、人などどうなっても構わないという罪の結果です。
どうして人が人を殺して、人生を奪うことができるのでしょうか。自分の満たされない心を満たすためであるとしたら恐ろしいことです。
まさに暗闇です。
だからこそ、命の光が必要なのです。光として来られた主イエスの救いが必要でない人は一人もいません。
人の心の中にある罪を消し去る方法を、人はもちません。なにか善行を積み重ねれば、清い心になれるか、あるいは、厳しい修行をすれば清くなれるかと考えますが、心の中は何をしても清められません。
罪を犯し続けるならその結果は「死」なのです。
「罪を犯す魂は死ぬ」(エゼキエル18:20 口語訳)と記されています。これこそが暗闇なのです。
暗い闇の中を照らす光が世に来られました。主イエスは人の罪を赦し、永遠の命を与えるために十字架に架り、死んでくださいました。このイエスを信じる者は、光を与えられます。
母マリアを通して、人として神の御子がお生まれになりました。マリアに天使が訪れて、御子がお生まれになることを告げた時、ヨセフと婚約中ではあっても、まだ未婚であったので、大変戸惑いました。しかし、聖霊によって身籠り、いと高き神の子がお生まれになると聞いたとき、決心しました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」
神のなさる救いの御業に用いられることを決心しました。
やがて御子はベツレヘムでお生まれになりました。
人民登録の勅令が出たので、マリアはヨセフと共に、ガリラヤのナザレから本籍地であるベツレヘムへ行かなければなりませんでした。ベツレヘム滞在中に出産されたのですが、救いの御子は貧しい家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かされていました。宿には彼らのいる部屋がありませんでした。お生まれになった時から貧しく、へりくだったお姿でした。しかし、このようにメシアはベツレヘムでお生まれになることが成就しました。暗闇の中に、救い主、まことの光が来られた。これがクリスマスです。神の愛の表われです。
クリスマスこそ、暗闇から光の中に招かれ、救われて永遠の命をいただいたことを喜び、感謝する時です。
私たちの為にお生まれ下さった主イエスを、心の中心にお迎えしましょう。まことの光を受けましょう。救いの喜びに満たされましょう。
クリスマス、永遠の喜びを祝い合いましょう。
救いの喜びをもって、救い主をこれからも伝え続けましょう。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(Tペトロ2:9)
今週のみことば
「起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。」
イザヤ書60章1-2節
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