阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2025年1月5日
新年礼拝
「私たちは世の光です」
マタイによる福音書5章14-16節

 新しい年を迎えることができて、感謝します。
今年も主を見上げて、信仰によって進んで参りましょう。
阪神チャペルセンターは、1952年から故ジョンストン宣教師等、関西教区の牧師によって、開拓伝道が始められました。
1955年7月に第一回目の献堂式が行われました。当時は故中沢四郎師が牧師として奉仕をされていましたが、中沢師が転任された
1960年10月に故廣瀬利男師が着任されて、1962年に結婚された故廣瀬友子師と共に、2024年8月18日に召されるまで、伝道牧会にあたられていました。友子先生は1988年7月に召天されています。
教会は1965年に創立10周年を記念して特別集会を行っています。1979年5月に、現在の会堂が完成して献堂式が行われ、「阪神チャペルセンターという名称を使用するようになりました。伝道の拠点、センターでありたいとの願いが込められています。
2009年には、新会堂献堂30周年記念として、グランドピアノを購入、また、階段昇降機を設置しました。その後も、記念の礼拝、特集などがなされてきました。
やがて、コロナウィルス感染拡大防止の為に、2020年4月より、Web礼拝が始められ、幾度も教会での礼拝、集会の休止、再開が繰り返されました。
現在もコロナや感染症が完全に治まったわけではありませんが、教会で礼拝がささげられていることを感謝します。
今年こそさまざまなプログラムを再開していく年であるように、祈りましょう。
教会は、イエス・キリストの御体で、私たちはその肢体です。さまざまな賜物をいただいて、用いられ、一致していく所が主の教会です。
70年もの間守られ支えられてきたのは、大きな恵みであることを覚えたいと思います。
2025年、私たちは改めて主の御言葉を信じて受け入れ、従う信仰に生かされたいと願います。
主イエスは、「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と言われています。主イエスは、あなたがたは世の光になりなさいとはおっしゃっていません。「世の光である」と言われたのです。
マタイによる福音書5章から7章には、山上の教えとして知られている大切な教えが記されています。
主の御言葉を聞こうとして群衆が集まりました。彼らの多くは病気であったり、貧しかったり、悩みのなかにある人たちでした。マタイによる福音書4章23節以下には、主イエスがガリラヤ中を巡回されて、教えと癒しを行われていたことが記されています。
「諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ4:23)とあります。
主イエスの評判が広まり、多くの病人が主イエスのもとに連れて来られて癒されたのです。
主は、このような人々が集まってきたのを御覧になって、山へ登られました。
主イエスは、これらの教えをこの世の中で弱者であるような人々に向けて語られていることを、覚えたいと思います。
どのような弱さを持っていても、現状がどういうものであっても、「あなたがたは世の光である。」と、主は語られています。
主イエスは、山の上にある町は、隠れることができないと言われました。そして、灯皿の灯のような光だとも言われています。
たしかに山の上の町が隠れることはできません。世の光は、隠すことができない光なのです。灯皿の光も、小さな炎であっても、人々から見えるし、闇を照らすことができます。
世の光とは、隠すことができない、そして、暗闇の中に輝く光だと教えておられるのです。
主イエスは、「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16)と、理由を教えておられます。
そうすると、人々は「立派な行い」をしなければならないと、考えてしまうのではないでしょうか。
自分はそんなに立派な人間ではないと、ためらってしまうかもしれません。
私たちが、主イエスの尊い十字架で贖われて、罪を赦されて、神の子とされ、永遠の命をいただいている、その理由は何でしょうか。
私たちが立派な、良い人間だからでしょうか。そうではないと思います。
人は誰でも罪を持ち、自分中心で自分勝手な生き方しかできないのです。自分勝手であることさえ気が付きません。自分が悪いのではなく、いつも他人が悪いと、裁くような心を持っています。
主イエスと出会って、自分がいかに罪深い者であるかということが分かったのです。このように罪深い小さな者を愛してくださったという、十字架の愛が分かったときに、世の光となったのです。
一体、良い行いとはどのような行いでしょうか。主イエスを愛して、その愛を表す生活です。
人間的な弱い者を、主イエスを信じる者にふさわしく造り変えてくださるのは、聖霊の働きです。
良い人になろうではなく、すでに御心に適った生活をする者に変えられていることを信じることです。
主イエスを信じた者は、神の子です。神の子は見えない神が見えるように生きる。主イエスの光を照らす、それが、栄光を現す生き方であることを覚えましょう。
光を隠すことはできません。光の根源である主イエスを隠すことはできません。
私たちの周りに、闇の中に悩み、あるいは失望している人はいないでしょうか。声には出さなくても、救いを求めている人はいないでしょうか。
主イエスは、あなた方は互いに愛し合いなさいと、教えてくださいました。愛を表すとは、私たちが光として、光の根源である主イエスを現わすことなのです。
多くの画家が、主イエスが小さな光をともして戸をノックしている絵画を残しています。
周囲は暗いのですが、主イエスは輝き、手には小さなランプを持っています。家の中の人はノックを聞いています。でも、ドアには外のノブがなく、戸は中からしかあきません。救い主は忍耐深く戸が開くのを待ち続けておられるのです。
これこそが良い行いなのです。私たちもすでに光となっています。
まことの救い、永遠の命を伝える事こそ、主イエスの御心であり、良い業であることを覚えたいと思います。
世の光としていただいた、私たちです。生活そのものが救い主を現わす生活であるよう、なお祈り続けましょう。
そして、主イエスがともにおられる事、この方の臨在が私たちを通して、教会だけではない。この世に表されるように、用いてくださいと祈りましょう。
教会創立70周年の今年こそ、魂の救いの記念の年となるよう、主を仰ぎ、心を明け渡して祈り続けましょう。

今週のみことば
「わたしは世の光である。
 わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
 命の光を持つ。」
 ヨハネによる福音書8章12節


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