阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2025年2月9日
第2聖日礼拝
「キリストの姿に学ぶ」
ペトロの手紙T 2章21-25節

 寒い日が続いていますが、主に守られ、導かれていることを感謝します。きょうも心から父なる神を崇め、礼拝しましょう。
ペトロは迫害され、各地に離散している人々に、励ましと希望を伝える手紙を書きました。
信仰と希望は神にかかっていること、主イエスの十字架で贖われた者として、聖なる者として生活するようにと、勧めがなされています。
苦難の中にあっても、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ち溢れているのは、魂の救いを受けているからだとも書き記しました。
この世の生活には、多くの苦しみや戦いがあります。
今、試練を受けて苦しむ人々もおられるのではないでしょうか。病気で悩むこともあります。
問題が次々起こって、なぜこのような苦しみが襲い掛かるのかと悩むときもあるのです。
この手紙の宛先の人々もそうだったのです。
世にある者は、苦しみにどのようにして勝利していくのでしょうか。
「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は、罪を犯したことがなく その口には偽りがなかった』」(Tペトロ2:21,22)とあります。イザヤ書53章9節の御言葉が引用されています。
主イエスがどのようなことをしてくださったのかを、いつも覚える事です。
尊い神の御子が、この上もない謙遜さをもってこの世に遣わされ、十字架の道を歩んでくださいました。罪と何のかかわりもない栄光のお姿を捨てて、この世の罪の贖いの為に、低い姿を通されたのです。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6−8)
この御言葉に、主イエスのお姿を見る事が出来ます。
十字架に至るまで、謙遜なお姿を通されました。
父なる神は御子をこの上もなく高く上げて、あらゆる名に勝る名をお与えになりました。
すべての者がイエスの御名に膝まずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と崇めて、父なる神をほめたたえるのです。
主イエスは、「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅(おど)さず、正しくお裁きになるかたにお任せになりました。」
(Tペトロ2:23)
すべてを父なる神に委ねられることは、素晴らしい勝利なのです。
私たちはどのような信仰を持っているのでしょうか。
主イエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28―30)と教えてくださいました。
だれよりも謙遜な主イエスは、「わたしのもとに来なさい」と招かれます。そして、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい、そうすれば安らぎを得ると言われたのです。
重荷を下ろしたいのに、軛を負えと言われるのはなぜかと、思うかもしれません。
軛とは、二頭の牛に畑を耕させようとするとき、二頭が別々に動いてしまわないように、牛の首を一緒につなぐ道具です。
軛をつけられると、バラバラに動くことはできません。
主イエスが、「わたしの軛を負いなさい」と言われるのは、重荷を増すためではなく、主イエスと一つにされて進むという事なのです。
主イエスが私たちの重荷を共に負ってくださるから、安らぐ事が出来るのです。
苦しい時、嘆きの時、自分は一人ではなく、主イエスがその嘆きを負って下さっていることを知らなければなりません。
主イエスは、十字架でわたしたちの罪を担って下さいました。
私たちは、自分の罪が理解できているでしょうか。主イエスを信じている私たちは、実は贖われた罪人なのです。
十字架で日々赦されているから、恵みの中を歩むことが出来ています。
また、悔い改めることが必要だと分かったので、悔い改めて日々信仰の新しい出発ができるのです。
罪を振り払い、救いの喜びの日々を送れるのは、主イエスの愛と恵みによります。
十字架により、罪許され義とされた者は、愛と赦しを知りました。
愛と赦しを受けた者は、愛する者であり、赦す者に変えられました。
主イエスのたとえ話に、借金を返すまで赦さないと、仲間を牢に入れた人の話があります。
ある人が、王に1万タラントの借金をしていました。清算するように求められると、ひれ伏して「どうか待ってください。きっと全部お返しします」としきりに願いました。王は哀れに思って、その借金を帳消しにしてくれたのです。
一万タラントとは莫大な金額です。3000億円位になると言われています。想像もつかない金額です。
赦された人は、すぐ自分に100デナリ借りている仲間に出会いました。彼はこの人の首を絞め、「借金を返せ」と迫りました。仲間はひれ伏して、「必ず返すから待ってくれ」と頼みました。ところが、聞き入れずに借金を返すまで、牢に入れてしまいました。
百デナリとは、労働の100日分に値する金額です。一日1万円なら、100万円になります。
自分が帳消しにしてもらった借金に比べれば、比べられないほど少額なのです。でも、赦すことはできませんでした。
この出来事はすぐ王に知らされました。王は、「不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」(マタイ18:32,33)と言い、この家来を牢に入れたのです。
主イエスは、「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
(マタイ18:35)と教えてくださいました。
罪に対して死に、義によって生きるようにされた者は、愛と赦しに生きることができるのです。
主イエスの十字架は、私たち一人一人のためであることをしっかりと心に覚えましょう。
主イエスの十字架でお受けになった傷によって、私たちは癒され、赦されたのです。
かつては飼う者のない羊のように彷徨い、滅びに向かっていた者を、主イエスは救い、御自身の愛によって、永遠の命を与えてくださいました。 主イエスは、魂の牧者、監督者です。信仰によって歩めと励まし、導いて下さいます。
この牧者のもとに憩い、安らぐことのできる恵みを今日も感謝します。
主イエスの救いを誰にでも、どこででも伝えていきましょう。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(Tペトロ2:9)

今週のみことば
「召し出してくださった聖なる方に倣って、
あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」
 ペトロの手紙T 1章15節





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