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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「神の国とは」
ルカによる福音書13章20-21節
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新しい週の初めの日、日曜日に教会に集い、心を合わせて礼拝できることを感謝します。教会では、主イエスが十字架で死なれて三日目、すなわち日曜日に復活されたことを記念して、日曜日に集い礼拝するようになりました。私たちが日曜礼拝をささげるのは、主の復活の証人だからです。きょうも、天の父の御心を探りつつ、礼拝をささげましょう。
主イエスは、いつも大切なことをたとえで教えてくださいました。
天の国について、「からし種」と「パン種の」たとえで教えておられます。
からし種は、1ミリに満たない小さな種ですが、成長すると人の背丈よりもはるかに大きい、2〜4mの木になります。
蒔かれた種とその後大きく育った木の姿の差に、教えの真理があります。今、私たちが見ている姿と、将来の姿の大きな差です。
今日はパン種のたとえから、教えられたいと思います。
私たちも日常的にパンを食べます。家で作る方もあるでしょうが、パン屋さんや、スーパーなどで購入することも多いかと思います。
イエス様の時代では、パンは日常的な主食でした。大麦や小麦の粉でパンを作っていました。
主イエスは、大切な教えをたとえでお話になりました。
「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる』」
(マタイ13:34,35)と言われています。
主イエスは神の国について、「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」(ルカ13:20,21)と、パン種にたとえられました。主の時代には、作ったパン生地を少し残しておいて、次にそれを混ぜ、繰り返しながらパンを作りました。
パンの材料は基本、粉、甘味、塩、バター類、そしてパン種でしょう。パン種という言葉は、今はあまり使いません。イースト菌とか酵母菌と考えてよいと思います。これがないとパンは膨らまず、パンにはなりません。
主イエスは、「神の国はパン種に似ている」と言われました。どういう意味なのでしょうか。
神の国は、天の国とも言い表します。
主イエスは町々村々を巡回されて、御国の福音を伝え、あらゆるわずらいを癒されました。主イエスは天地万物をお造りになり、ご支配される方、真の神の愛を伝えたのです。これが神のご支配、神の国の教えです。
主イエスは、神であられるのに人としてこの世に来られて、神の愛を伝え、神の愛を十字架で表されました。
主イエスの十字架の死と復活で、人の罪と死を解決し、信じる者を完全に救われ、神の国の民とされました。
神の国、天の国は召天してから入るのではなく、主イエスの贖いによって、救いを受けた時に入る国なのです。
私たちは、今、神の国の民であり、永遠の命を生きています。
主イエスはこのたとえでは、女の人が三サトンの粉にパン種を入れたとあります。
三サトンは約27キログラムです。かなり大量の粉です。
それに対してパン種は100分の1くらいの割合で入れたのでしょう。
粉や調味料に、命はありません。しかしパン種は生きています。
命があります。もし、命がなければどのように人が努力しても、変化はおきません。
やがてパン種を練り込まれたパンの生地は膨らみ始めます。
私たちは忙しさの中に生きていて、何でも素早くできるように工夫しますが、昔は何にでも時間をかけることが当たり前でした。パン生地の発酵にも時間がかかりました。
出エジプトをするイスラエルの民は、急いで脱出するため、パンを発酵させて作る時間はありませんでした。ですからパン種の入っていない練り粉を鉢のまま外套にくるんで肩に担ぎました。そして、出発してからパンを作りました。新共同訳聖書には、「パン菓子」と記されています。平たいお菓子のようなものだったのでしょう。
パン種を入れたパン生地は、目で確認できないくらいの速度で、静かにゆっくりと膨らんでいきます。
時間がかかっても発酵が完了すると、それを焼いて美味しいパンができあがります。命を持つパン種は働いて、大きな結果をみられるようにするのです。
主イエスは、神の国はパン種に似ていると言われました。
神の国をご支配される、神の愛のお働きを考えさせられます。
天の父は、目に見えないお働きをしてくださいます。静かに、ゆっくりですが、たしかに生きておられて私たちの内に働かれます。
人の目には見えないパン種は、静かに深く生地全体に影響を及ぼします。神の国は、人々から見えなくても、その働きが分からなくても、静かに、深く成長していくのです。
私たちの願い、教会の願いはどのようなことでしょうか。父なる神の御旨が成ります様にという願いです。
多くの人が主イエスを信じて救われるように、私たちと同じように神の国の民となるようにという願いです。
私たちは主イエスの救いを伝え、伝道します。
しかし、反応は思うようではないことが多いのです。しかし失望はしません。なぜなら、福音を伝えるのは私たちの働きであり、救いは神のお働きだからです。ひたすら伝え続けて行けばよいのです。結果は神が御存じなのです。
信仰生活でも試練や困難で悩む必要はありません。すべて天の父は知っておられるからです。見えない御手を差し出しておられ、「私を信じて待ちなさい、従い続けなさい」と、励ましてくださいます。
困難な時こそ、信仰が試されます。
主イエスが、神の国はパン種に似ていると言われたお言葉を胸に刻んでおきましょう。パン種は練り込まれたら見えません。その働きは一瞬で効果がみられるものではありません。静かに働き、しかし生きているので必ず大きく膨らむのです。
問題だらけのこの世にあっても、神は働いておられます。悲惨な出来事も多くあります。しかし見えない神のお働きは確かにあり、神の国は広がるのです。
私たちの生活にも様々な苦しみがあります。しかし、神の国は静かに広がっています。たしかに神の御手があります。
神の国で生かされている私たちは、日常の生活の中で、神の国をあらわすことができます。
主イエスの十字架の救いを喜び、感謝する事は、神の子の特権です。私たちの内にパン種は働いています。
賛美が湧き上がるのは救いの表われです。試練の苦しみの中にも平安な心を持つことは、大きな証しになります。
パン種は私たちの内に命の働きをして信仰の成長を促し、神の民のエクレシア(教会)を成長させ、この世に主イエスの福音を拡大させる力となっています。
一日一日、主とその御言葉をしっかりといただきながら、パン種の素晴らしい働きを祈り、自分も用いられるようにと祈り続けましょう。
今週のみことば
「これは、人に神を求めさせるためであり、
また、彼らが探し求めさえすれば、
神を見いだすことができるということなのです。」
使徒言行録17章27節
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