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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「必要なことはただ一つだけ」
ルカによる福音書10章38-42節
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4月に入りました。今月は13日から受難週、20日にイースターを迎えようとしています。私たち一人一人の為に十字架で死なれ、三日目に復活された主イエスを見上げて、日々過ごしていきましょう。
きょうは、マルタとマリアの出来事から主イエスの御心を探りたいと思います。この出来事は、ルカによる福音書にだけ記されています。
マルタとマリアは姉妹ですが、ラザロという兄弟もいることが良く知られています。主イエスに甦らせていただいたラザロです。
しかし、今日の聖書の個所には登場していません。
出来事の冒頭に、「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった」(ルカ10:38)とあります。ある村とはエルサレム近郊のベタニヤです。
主イエスと弟子たちは、この時、エルサレムへの旅の途中でした。十字架への旅でした。
すると、マルタという婦人が、主イエスを家に迎え入れました。
マルタという名前には、「女主人」という意味があります。家を取り仕切っていたのはマルタのようです。マルタは村へお入りになった主イエスとその弟子たちを、歓迎して家に迎え入れたのです。
マルタも妹のマリアも、主イエスがメシアであることを既に知っていて、心に受け入れていたのです。
主イエスをお迎えできるのは、大変すばらしいことでした。徴税人のザアカイは、エリコの町を通られた主イエスに見いだされて、主イエスが、「今晩、ザアカイの家に泊まる」と言われた時、喜んで受け入れました。ザアカイは悔い改め、救いを受けて生涯が変わりました。
主イエスは、「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ19:9)と宣言されました。
マルタが主イエスを家にお迎えしたのは、自分の信仰によるのであり、主イエスの救いを信じたからです。それは妹のマリアも同様でした。
女主人のマルタには、主イエスとその一行に少しでも居心地よく滞在していただき、そのためのおもてなしをしたいという気持ちがありました。大人数の宿をするには、食事も大量に作り、寝る場所も整える必要がありました。
炊事場で調理し、それをテーブルに運んだりして、マルタは忙しく働きました。目には何が映ったのでしょうか。
主イエスの足元に座って、御言葉に聞き入るマリアの姿でした。
マルタは本当に忙しく立ち働いていました。「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが」(ルカ10:40)とあります。
マルタは、主イエスへの愛が溢れていて、忙しくしていたのです。
しかし、忙しく働くうちにある思いにとらわれてきました。
「なぜ、私だけが忙しくしているのか」という思いです。
妹はなぜか主イエスのもとに座って、御言葉を聞き続けていて、立ち上がり、働くことをしない。
とうとうマルタは、主イエスに、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(ルカ10:40)と、言いました。
マルタはおもてなしのために、心に余裕がなくなり、だんだん大変に思うようになりました。
「せわしく働く」というのは、「引き離される」という意味があります。
マルタは、主イエスを家にお迎えした本当の意味から「引き離されて」しまいました。
主イエスは御国の福音を伝えながら旅をされました。天の父の愛と赦し、永遠の命、癒し、すばらしい福音を伝えてくださいました。
マルタもそれを聞きたかったに違いありません。しかし、マルタはいつのまにか、そこからずれてしまったのです。
人の心がずれてしまうと、いつの間にか不平や、不満、人に対する裁く思いが湧き上がります。
マルタは、なんで私だけが忙しくしているのか、なんで妹は何もしないのか、なんで主イエスはマリアに手伝うように言わないのかと、不満でいっぱいになってしまいました。
マリアの姿から、私たちは学ぶことができます。私たちが救われたのは、主イエスの栄光をあらわすためです。
それぞれに与えられている賜物やタラントによって用いられています。
主イエスに奉仕できることは、素晴らしいことです。
しかし、奉仕をしていく上で、主イエスを見るのではなく、奉仕そのものしか見えなくなっていると、いつしか心が引き離されてしまう恐れがあります。
一方、マリアは主イエスを家にお迎えしてから、じっと御言葉に聞き入っていました。
この出来事の中で、マリアは一度も発言していません。
マルタの不満に対して、主イエスは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカ10:41,42)と」お教えになったのです。
忙しさに我を忘れたマルタの心にこのお言葉は届いたでしょうか。そうであってほしいと思います。
主イエスが教えておられることは、何より一番大切なことを一番大切にするということです。マルタの心づかいは大切なことです。主への愛から始まっていました。マルタの働きがなければ、食事はなかったでしょう。
ところが途中でそれが不満に変わってしまった事に、注意をしたいのです。マルタの心は、一番必要な、大切なことから引き離されたのです。
一方マリアは、一番必要なことを最優先しました。主イエスの御国の福音に聞き入ることから引き離されませんでした。
主イエスの御言葉を、聞いていれさえすれば、奉仕はいらないということではありません。
主イエスの為に、私たちも教会の内外で奉仕をします。大切で必要なことです。
主イエスはマルタに、「マルタ、マルタ」と、二度優しく呼びかけました。大切なことを教えるので、良く聞いてほしいと、呼びかけられました。
まず、御言葉を聞いて、それを信じて従うところからすべてが始まることを知ってほしいと、言われているのです。
私たちは、主イエスを救い主として信じて罪を赦され、救われました。十字架の贖いを受けて、永遠の命をいただきました。
しかし、いぜんとして弱さや罪はあります。気を付けないと主イエスの教えからずれてしまう事があるかもしれません。罪は「的外れ」です。
的を外した生き方になっていたら大変です。
生活の中で、まず御言葉を聞く。まず御言葉を優先する。祈り、悔い改めるなら、いつも主イエスの恵みの内にある、平安と喜びに満たされます。主イエスの御言葉を聞き続ける時、本来罪の報いを受けなければならなかった者が、神の愛と救いにあずかったという、感動に満たされます。
主イエスは、マルタの名を二度繰り返して呼んでおられます。
主イエスは毎日、私たちの名を呼んでおられるのです。
「わたしのことばを聞き、信じ、従いなさい。わたしの愛と赦しをいつも受け入れなさい。わたしがいつも共にいることを覚えなさい。わたしはあなたを愛している」と、語りかけておられます。
もし、あなたの中にいつの間にか不満や、不平、不安が湧き上がっているとしたら、今こそ主イエスの許に座り、御言葉に聞き入る時なのです。
今週のみことば
「しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。」
ルカによる福音書10章42節
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