阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2025年8月17日 
第3聖日礼拝
「わたしの平和を与える」
ヨハネによる福音書14章25-27節

 主を仰ぎ見つつ、今朝も礼拝をささげて参りましょう。日々主イエスの守りの中を歩むことができて感謝します。
まだしばらくこの暑さが続くようです。お互いに健康が守られるように祈りましょう。
今年は1945年に終戦を迎えてから、80年目になります。80歳までの人は、戦後の厳しい生活の記憶はあるかもしれませんが、直接の戦争体験はありません。しかし、悲しい記憶はあるでしょう。
昨年召された廣瀬牧師は、子供のころから高校卒業まで、京都から島根県の田舎に疎開していましたが、戦中戦後の苦しかった生活を時々語っていました。
しかし、その生活の中で、初めてキリストに出会うきっかけがあったことは、何より素晴らしいことであったそうです。
主イエスは、十字架の直前に弟子たちと食事をなさり、様々な大切な教えを語られました。
ヨハネ14章25節には、「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。」と言われました。
口語訳聖書では、「これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである」と訳されています。こちらの訳の方が、意味がよくわかります。
もうあなたがたには、わたしの教えを語って聞かせたという意味です。
主イエスの十字架の贖いの死と復活についてであり、約束の聖霊が降るという約束です。
主は、直接弟子たちの目に見える形ではおられなくなるのですが、聖霊が共におられて、あなたがたの内にいてくださる。「あなたがたをみなしごにはしておかない」という力強い約束をしてくださいました。
また、聖霊は「弁護者」だと言われています。「助け主」という意味です。聖霊は、主イエスが教えて下さったことを霊的に理解させてくださるお方であり、主の教えを思い起こさせてくださるお方です。
なぜなら、「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」(ヨハネ15:26)と、聖霊は主イエス御自身を証ししてくださるお方だと、証言されています。
弟子たちは、まだ主イエスがかねがね教えられていることを、理解してはいませんでした。しかし、ペンテコステ以後その信仰は確固したものとなり、確信をもって宣教するようになりました。
どのように迫害されても、内におられる聖霊により、前進して行きました。宣教は聖霊によってされるのであり、やがて全世界に伝えられ、私たちもその福音により、主イエスを信じて救われました。
私たちは、置かれているところで福音を伝えていく責任があります。次の世代にも語らなければなりません。しかし、肉の力だけではできない事です。良く祈り、聖霊に満たされて伝道はなされていくのです。
もし、聖霊によって主イエスを伝えていくなら、聖霊はその伝える相手の心の奥に先に働きかけていてくださいます。信じて祈り、伝えていきましょう。
ヨハネ14章27節には、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」とあります。
人には、「安らぎが欲しい」、「安心が欲しい」という願望が、心の奥にあります。そのためにはしっかり働いて財も必要、健康も必要、様々な条件をクリアしていく必要があると思います。
条件が満たされないと安心できないという考え方です。
社会問題になっている、高齢者を狙う詐欺に騙されるのは、財産をもっと増やして安心したいという思いがあるので、騙されてしまうきっかけになってしまうのです。
結果がでない健康食品にだまされるのも、健康であれば安心という心からです。
今は、あらゆる情報があふれています。なにが正しくて、何が誤りなのかをしっかりわきまえて行かなければなりません。
主イエスは、弟子たちに、「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハネ14:27)と言われました。そして、「わたしはこれを、世が与えるように、与えるのではない」と、続けられました。
「平和」というお言葉は、そのまま「平安」という意味にとらえることができます。
ガラテヤ人への手紙5章22節には、御霊の実について記されています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」と教えています。
聖霊の実の一つに「平和」の実があります。
御霊の実は、主イエスを信じて、永遠の命を持つ人が結ぶ実です。主イエスのお持ちである品性と考える事が出来ます。
これらの実は、すばらしい賜物として信じる者が結ぶ実なのです。
人が主イエスを救い主として心に受け入れた時、神との和解がなされます。神を知らず、信じようともしていませんでした。
真の神と離れて、罪の道をさまよう者に真の平和はありません。
「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。」(イザヤ53:6)
自分が正しいと思って道を進んでも、神との和解のない道は、滅びでしかありませんでした。
「そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。」
(イザヤ53:6)。
神に立ち帰ることができるように、主イエスは十字架で死んでくださいました。そして三日目に復活されて、贖いを完成されたのです。
主イエスが残され、与えておられる平和は世の平和ではありません。
神との和解がもたらす平安です。
私たちは、主イエスの贖いによって、神との和解をする事が出来たことの確信をいつも持っているのです。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ローマ5:1)
主イエスの十字架で罪許されて、義とされ神の子とされたことを感謝します。だから、何があっても、心を騒がせることも、おびえることもないのです。
これからの出来事で弟子たちが驚かない様にと、主イエスはあらかじめお話しくださいました。
私たちにも御言葉を下さっています。そして聖霊を下さっています。
御言葉を信じ、従うときに、動揺はありません。常に主イエスの平和があるのです。
「世の支配者」、サタンは主イエスの愛と希望から引き離そうと、働きます。ともすれば失望に陥れようとします。しかし、既に主イエスは勝利しておられます。主イエスをどうすることもできない様に、信じる私たちをもどうすることもできないのです。
この世が知るべきことは、主イエスがその愛により、天の父に従い通されたことを知る事です。それは、信じる私たちが世に向かってなすべきことと覚えましょう。
今、私たちがそれぞれ抱えている現実の問題は違うでしょう。悩みや恐れもあるでしょう。しかし、主の平和はだれにも何者も奪うことはできません。
泉のように、心の奥深くから愛と平安は湧き上がるのです。
主イエスは弟子たちに、「さあ、立て。ここから出かけよう。」(ヨハネ14:31)と弟子たちに御声をかけて出かけました。十字架の道へです。主イエスは弟子たちに、立って一緒に出掛けようと言われました。主イエスは十字架へ、弟子たちは宣教の道へ出かけようと励まされました。主イエスは私たちにも、「さあ、一緒に出掛けよう」と、力強い御声をかけて導かれていることを、確信して進みましょう。


今週のみことば
「平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。」
マタイによる福音書5章9節


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