阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2025年11月2日
第1聖日礼拝
「成長する種のたとえ」
マルコによる福音書4章26-32節

 11月の最初の日曜日、主の前に集い、礼拝をささげられることを感謝します。
11月30日から今年のアドベントが始まります。今年も多くの恵みをいただいて、今日まで来る事が出来ました。恵みを思い返し、また、私たちのためにこの世にお生まれ下さった救い主を、待ち望み備えたいと思います。
主イエスは真理を教えるために、よくたとえで話をされました。
マルコによる福音書の4章1節からは「種を蒔く人のたとえ」が、記され、21節からは「ともし火」と「秤」のたとえが記されています。
そして、「成長する種」と「からし種」のたとえが続いて記されています。
これらのたとえは、「神の国」についての教えです。
神の国とは、神のご支配のあるところの事です。
神の国とは、真の神を主とし、この方に従う者がいる所です。主イエスに救われ、義とされた者は、神の国の住人です。
神の国に入るために、聖書を学んだり、様々な書物に回答を求めてもそれだけでは入ることはできません。聖書を読んでいるから良いのではないかと思うかもしれませんが、読むだけではなく、信じて救い主を主として生きる決心によって、入るのです。
主イエスは、「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしてうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(マルコ4:26,27)と言われました。
種が土に蒔かれると、それぞれの種の種類の発芽の日数に応じて、芽がでます。蒔かれた種は、朝夕眺めても芽が伸びたり、実が大きくなる瞬間を見ることはできません。しかし、夜は眠り、朝、土をみると、たしかに大きく成長している実を見る事が出来ます。
不思議なことです。
土に蒔かれた種が人知れずに成長するように、神の国も人が覚える事が出来ない所で、神の力によって成長するのです。
私たちの目には、神の国が大きくなるのを見ることはできません。しかし、神の力によって広げられるのです。
神の国は、神の御力とご計画によって、実が実り、収穫の時が来ると約束されています。
土に蒔かれた種は人が寝起きしているうちに成長します。神の国も私たちが寝ている間にも神が働かれて、神が成長させてくださいます。
神のお働きの中に、私たちはどのように加えていただけるのでしょうか。人は種を蒔く事が出来ます。良い種は良い実を結びます。
人はどのようにして救われるのでしょうか。救い主イエス・キリストを信じることによって救われます。
神の独り子であるイエス・キリストは、人となられてこの世に来てくださいました。それを記念し、祝うのがクリスマスです。
この世は、クリスマスの真の目的である神の子の受肉、救いには全く触れず、ただ浮かれ騒ぐ楽しい時だと宣伝します。
イエス・キリストの救いを告げ知らせないクリスマスに、ともするとクリスチャンでさえ流されてしまいます。あってはならない事です。
クリスマスこそ、イエス・キリストの十字架の死と復活、救いを宣教する時なのです。
「この方こそ、救い主です。この方はあなたを愛しておられます」と、誰かに伝えるなら、神の国は成長するのです。
直ぐに芽は出ないかもしれませんが、蒔かれた種には命があります。やがて神の御業があらわれるのです。
主イエスは、「神の国を何にたとえようか。」(マルコ4:30)と言われました。「それはからし種のようなものである。」(マルコ4:31)とも言われました。
からし種は小さな小さな種で、風が吹くとどこかへ飛んで行ってしまうほどです。
しかし、成長は早くて、数週間で3〜5メートルにも高く成長する程なのです。
主イエスは、「土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(マルコ31−32)と言われました。
私たちが主イエスを伝えようとしても、からし種のように、小さく、効果があるのかどうかはっきりしない様に考えることがあります。
しかし、やがて大きな木が育ち、その枝も大きく張り出し、鳥が巣を作るほどになると約束されました。
福音を伝えることにためらいはいりません。反応も気にしなくてよいのです。ただ種を蒔くこと。種には命がある事。成長させるのは神であること、やがて刈り入れの時があることを信じて祈るのです。
エルサレム教会に大迫害が起ってから、使徒以外はみな地方に散らされて行きました。彼らは福音を語りながら町々を巡りました。
フィリポという弟子は、サマリヤへと遣わされ、福音を語ったところ、多くの人々が主イエスを信じました。エルサレム教会にこの情報が伝わると、教会はペトロとヨハネをサマリヤに遣わしました。聖霊が注がれて、大きな救いが起こり、この町に多くの喜びが湧き上がりました。
迫害の中でも、福音は伝えられて、救いの御業が起こりました。
ペトロとヨハネはエルサレムへ帰り、フィリポは天使によってガザへ遣わされました。
フィリポにはなぜ自分がガザへ導かれたのか、最初は分からなかったと思います。そこで、大切な出会いがありました。
エチオピア女王の高官が、エルサレムへ礼拝に来ていて、その帰途での出会いでした。彼は女王の全財産を管理しているほど、信頼されていた人でした。
高官はイザヤ書を音読していました。聖霊はフィリポに、追いかけてあの馬車と一緒に行けと語りました。
イザヤ書を読む声が聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」(使徒8:30)と声を掛けました。
高官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言って、馬車に乗ってすわるようにとフィリポに伝えました。
高官が朗読していたのは、イザヤ書53章の主イエスの受難を預言していた有名な箇所でした。
屠り場に引かれていく羊のように、黙して引かれていかれる主。毛を刈る者の前に黙している小羊のように、口を開かない主イエス。
主イエスは黙されたまま、十字架への道を進まれ、神の子羊としてその命をささげ、すべての人の罪を贖われました。
高官は、恵まれた地位にあり、すべてが満たされているように見えましたが、魂は救いを求めていたのです。
私たちの周囲にも、誰が見ても恵まれているように見える人がいます。しかし、その人の魂は見えません。
救いを求めているとしたら、伝えないわけにはいかないのです。
どのように福音を伝えたらよいのか、聖霊はフィリポを用いられたように、私たちにも働きかけて遣わしてくださいます。
私たちは、よく聞き分ける耳を持ち、従うなら、目に見えない御業が始められるのです。
やがて、馬車が水のある所に差し掛かると、高官は「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」(使徒8:36)とフィリポに聞きました。
「真心から信じるなら差し支えありません」というのが答えで、二人は水に入り、高官は洗礼を受けました。
フィリポは聖霊に取り去られ、宦官は喜びに溢れて国へ帰って行ったのです。
こうして神の国は広げられ、成長し、はるかエチオピアまで福音が伝わりました。
折が良くても悪くても、勇気をもって、主イエスを伝えましょう。
それが第一歩です。
目には見えなくても、確実に命が芽生え、救いがなされ、神の国の民が増し加えられて、神の国は広がります。
主の御業に用いられることを願い、祈り続けましょう。


今週のみことば
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
あなたがたに種を与えて、それを増やし、
あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
 コリントの信徒への手紙U9章10節




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