阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2025年11月30日
第5聖日礼拝
アドベント第1週
「天の国は近づいた」
マタイによる福音書4章17-22節

 11月最後の日曜日になりました。今日から今年のアドベントが始まります。
アドベント(待降節)は、クリスマスまでの4週間で、救い主の誕生を待つ時です。
私たちの救いの為に、お生まれ下さった御子を待ち望むときであることを、覚えたいと思います、
主イエスは、ガリラヤのカファルナウムで宣教を始められました。
救い主の到来は、預言者イザヤによっても預言されていました。
主イエスはまさにメシアであり、イザヤの預言の成就でした。
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ。」(マタイ4:15,16)
イザヤの預言はキリストの誕生によって現実になりました。
異邦人の地と呼ばれたガリラヤ、軽蔑の対象であったような人々、暗黒の中にいた人々は、大きな光を受けるとの預言です。
主イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)と宣教を始められました。
イザヤの預言は、主イエスの時代より700年も前に語られた預言です。その預言は救い主の誕生で成就しました。そして、今の時代に至るまで大切なメッセージとなっているのです。
ゼブルンとナフタリは北王国イスラエルの領地でしたが、アッシリヤに滅ぼされてしまいました。異邦人の強国に滅ぼされて滅亡したのに、終わりではないことが預言されました。
イザヤ書には、「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」(イザヤ8:22)、「異邦人のガリラヤは栄光を受ける」と預言されています。すでに異邦人に滅ぼされてしまったのに、どうして栄光を受ける事が出来るのでしょうか。
メシア来臨こそ、栄光を受ける時なのです。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ9:5)。
救いを受けることはないと思われていた異邦人、ガリラヤの人々の上に栄光が顕れたのです。しかし、それはガリラヤだけではなく、全世界の光としてメシアが誕生されました。
主イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ4:17)と宣教されました。
暗闇の中に住む者、異邦人とは、そこに実際に住んでいる人々の事だけではありません。自分はアブラハムを父とし、律法を立派に守っている、神に選ばれていると誇っている人々も、実は暗闇の中を歩む者でした。人はだれでも、罪の関係を清算しなければ、暗闇に光は差し込みません。
天の父が人を創造された時、人はエデンで自由に神との交わりを持つことが出来ました。
神は人にエデンでは、どの木からも実を取って食べてよいが、善悪の知識の木から決して食べてはならないと、命令されていました。たった一つだけの禁止事項です。ところが、エバがまずサタンの巧妙な誘惑に負けてしまいました。その実は美しく、食べれば賢くなるに違いないように見えました。エバは食べて、そばにいたアダムにも食べさせてしまいました。
人の愚かさと罪深さをあらわす出来事でした。アダムとエバはエデンを追放されてしまいました。この時から罪が入り、人と神との関係が断たれてしまいました。霊的な死です。人はこの時から罪を継承するものとなったのです。
神との新しい命の関係を回復する時は、救い主の到来を待つしかありませんでした。
時が満ちて、まことの光が輝きました。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1:9)
人がまことの光の中に招き入れられるための方法は、一つしかありません。
イエス・キリストがこの世に人としてお生まれ下さり、全世界の人の罪の贖いの為に、十字架で死なれた事、そして三日目に復活されたという事実を信じ、受け入れることです。
信じる者は、直ちに神の国へ入ることが出来ました。真の神と断絶し、関係のない者であったのが、救われて神の子という身分を与えられました。
ガリラヤの地に住む人たちに与えられた預言は、私たちにも与えられている預言であったことを覚えたいと思います。
救い主を受け入れない人は、以前として暗闇の中を歩みます。しかし、暗闇を歩むことにすら気がつきません。行き先が滅びであることも、知ろうともしません。
そのような人々の心の戸の前に、今も主イエスは光をかかげ、叩き続けておられます。
主イエスはガリラヤ湖の漁師をしていた、二組の兄弟をお召しになりました。
ペトロと呼ばれるシモン、その兄弟アンデレが漁をしているところを御覧になり、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:18)と言われました。
別の兄弟ゼベダイの子ヤコブとヨハネが、父と一緒に舟の中で網の手入れをしているのをごらんになって、彼らを呼ばれました。
ペトロ達もヤコブ達も網を置いて、主イエスに従いました。
この4人は、使徒となり、ヤコブは最初の殉教をとげ、ヨハネは長生きをして、愛の使徒と呼ばれるようになりました。
ペトロも、アンデレも殉教するまで主イエスに従い続けました。
人間的に弱さはあっても、最後まで主に従い続けたのです。
クリスマスの備えとはどのようなことでしょうか。
ツリーを飾り、リースやさまざまな飾りをして、クリスマスの雰囲気を出す事なのでしょうか。
主イエスは、「悔い改めよ」と言われました。悔い改めとは、生き方の向きを変えることです。
自分は今、主イエスの方に向かって進んでいるだろうか。主イエスが喜ばれるような生活をしているだろうか。暗闇の中にいる人々に、まことの光を差しだしているだろうか。信仰的にあいまいなことをしているようなことはないだろうか。愛が冷えていないだろうか。知らず知らずのうちに自己中心な思いになっていないだろうか。
自分の心を聖霊によって探っていただき、もし主イエスが悲しまれるようなことがあるなら、悔い改める。向きを変える、それがクリスマスの備えであることを知らなければなりません。
ペトロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤ湖で一生過ごすこともできたのです。慣れ親しんだ湖で漁をして暮らすこともできました。
しかし、主イエスが召された時に、網を捨てて従いました。
自分の仕事も将来も主イエスにお任せしました。
この世の誉れは受けられなかったかもしれません。生涯も苦難の連続であったことでしょう。
しかし、彼らの目と心は天の国にありました。自分の前に置かれたものが、栄光に富んだものであることを知っていたのです。
彼らが欲しかったのは、「良い忠実な僕、よくやった」というお言葉であり、天の冠でした。
世と世のものは、やがて失われることをよく知っていたのです。
主イエスが再び来られるのは、いつかわかりません。しかし、それは必ずあります。主イエスという光に照らされ、信仰の道をしっかりと歩む決心の時がアドベントです。
信仰の戦いを戦い抜き、信仰の道を走り抜けましょう。「義の栄冠」は、私たちにも備えられているのです。
暗闇の中に神の栄光が顕れた、すばらしい救いを感謝します。

今週のみことば
「そのときから、イエスは、
『悔い改めよ。天の国は近づいた』 と言って、宣べ伝え始められた。
 マタイによる福音書四章十七節


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