阪神チャペルセンター
  礼拝メッセージ
 
2026年1月4日
第1聖日新年礼拝
「イエス・キリストの事をいつも思う」
テモテへの手紙U2章8節

 2026年の元旦礼拝に続き、最初の主の日の礼拝をささげられる恵みを、感謝します。
新しい年も、主に望みをおいて進みたいと思います。
2026年、私たちには、テモテ第二の手紙4章2節の御言葉が与えられています。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
新しい年の初めに、私たちは何を思ったでしょうか。今年の個人的な願いを思って祈り、あるいは新たな進路についても考えたでしょう。
様々な希望や願いがあります。御心がなりますようにと祈りつつ、歩むことになります。
私たちの心の中心に、主イエスをお迎えして生きることが、すべての祝福の中心です。もし、自分の思いが強くて、主イエスを脇へ押しやってしまっているなら、どうなることでしょうか。
「イエス・キリストの事を思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。」(Uテモテ2:8)と勧めが記されています。
この御言葉は、主イエスの事を、時々思いなさいということではありません。いつも、忘れることなく思っていなさい。心の中心にお住まい頂きなさいということです。
主イエス様がどのようなお方なのか、簡潔ですが適切に紹介されています。
「ダビデの子孫である方」、「死者の中から復活された方」、この方が主イエスなのだとあります。
ダビデ王の家系から、メシア、救い主が来られることは旧約聖書に約束されています。ダビデの子孫から生まれるということは、神が人としてこの世に来られたという事なのです。
神は霊ですから、人は肉の目で見ることができません。その見ることのできない神が人として世に来られた、それが主イエス・キリストなのです。
私たちの主は、神であるのに人としてこの世にお生まれになり、人として歩まれて、人の罪を背負われ、身代わりとして十字架に架かってくださいました。
主は、人としての苦しみを体験されたお方でした。ですから、私たちの苦しみも痛みも、すべてお分かりになるのです。
また、主は、「死者の中から復活された」ともあります。
これは、十字架で死なれた主が、墓に葬られて、三日目に甦られて、今も永遠に生きておられることを、いつも思いなさいという意味なのです。
今、生きておられる方は、私たちに御手を差し伸べ、弱ったときには力を与え、膝が崩れ落ちてしまうなら、支えて立たせてくださるお方なのです。生きておられる主イエスをいつも思い起こしているなら、希望は失望に終わりません。
生きておられる救い主が私たちを守り、支えてくださる事を感謝します。
パウロは、この手紙をローマの牢獄で書き送りました。
まもなく処刑されるような時に、パウロは愛する我が子と呼ぶ、テモテに手紙で励ましを与えました。
パウロは福音を伝えたために投獄されていました。まるで犯罪人のようだと9節にはあります。
「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません」
(Uテモテ2:9)
パウロは主イエスに使徒として召されて、福音を伝え始めた時から、激しい迫害の中を通りました。
最後には、ローマ皇帝に上訴するためにローマへ護送されて、殉教することになったのです。
獄中で鎖につながれて、体は不自由でも、神の御言葉はつながれることはないのだと記しました。
どのような権力者をもっても、生きておられる神の御言葉をつないでしまう事はできません。
神のお働きをとどめることはできないのです。
神の言葉は今も生きて働かれています。
人が救われるためには、主イエスが伝えられなければなりません。
自分がどうしてクリスチャンとなって、礼拝をささげているのかを思い起こすことは良い事です。
誰かが福音を伝えてくれたからです。
家族や、友人や、知人や、そのほかの誰かが教えてくれたのです。
ある方は、若い時に自分の下宿先の玄関に、近くの教会の集会案内が置いてあったのを見ました。だれが置いたのかはわかりません。多分教会の信者さんが、その近くのお宅に配布したのでしょう。
それを見て教会に行ってみて、主イエスを信じる事が出来ました。もう60年も前の事ですが、今も主イエスを見上げて、信仰の歩みをしっかりと続けています。
伝道の方法はいろいろありますが、主イエスこそ救い主だということを伝えることによって、人は救われるのです。
御言葉は、「実に人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10:10)と約束しています。
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ローマ10:13)のです。
国籍も人種もなにも関係なく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を、豊かにお恵みになるとも、約束されています。
しかし、宣教する人がいなければ、救いはありません。
「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また 宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」(ローマ10:14)
福音を聞かなければ、信じることはできません。
信仰は、キリストの言葉を聞くことから始まります。
今の時代でも、福音を伝える事には困難が伴うことがあります。しかし、私たちが主イエスを信じたのは、自分の幸せのためではありません。
自分の隣人たちや家族、大勢の知人たち、友人たちが皆救われるためであることを覚えなくてはなりません。
どのような困難があっても、この人が主イエスを信じたらどれほど嬉しい事かと思いながら、救いの種を蒔き続けるなら、御業は現れます。
人は、この世で成功しているように見えても、主イエスの救いがなければ空しいのです。罪の苦しみや、罪の結果に苦しむのです。
放縦な生活は、決して神に喜ばれるものではありません。自分で蒔いた種は、自分で刈り取ることになってしまいます。
私たちは、今年、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(Uテモテ4:2)という御言葉が与えられました。
福音は、私たちの手に委ねられました。
これは、「厳かな命令」です。神の前に姿勢を正し、襟を正して受け取る命令なのです。
主イエスも昇天される前に、弟子たちに、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われました。弟子たちは、ペンテコステ以後聖霊に満たされて、困難な中にも宣教を続けました。それ以後数えきれない人たちが、世界中で宣教を続けました。
私たちもその恩恵にあずかって救われました。
私たち一人一人は、その信仰を受け継ぎ、主イエスがこの地上に来られる時まで、語り続けることが委ねられています。
「良い知らせを伝える者の足は、何と美しいことか」(ローマ10:15)
主イエスは、良い知らせを伝える者に先立ってくださいます。
今年多くの人々が救われる年であるように、信じて祈りましょう。
御言葉の種を蒔き、収穫に与かる恵みを覚えましょう。
主イエスをどのような時も思い起こす、信仰に生きましょう。


2026年のみことば
「御言葉を宣べ伝えなさい。
 折が良くても悪くても励みなさい。」
 Uテモテへの手紙4章2節


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