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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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1月も第四週の日曜日を迎えました。寒い日が続いていますが、主の守りが日々あることを感謝します。
ペトロの手紙は、遠くの地に住んでいるクリスチャンに向けて、書かれた手紙です。迫害が激しくなると、クリスチャンは小アジアの各地に散らされて行きました。それらは異邦人の地で、異邦人に囲まれていて、なお迫害の中にありました。
ペトロはそのようなクリスチャンたちに、信仰の戦いの中にあっても、希望を持ち続けるようにと、励ましの言葉を送りました。
まず、神をほめたたえる言葉が記されています。
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐みにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え・・・」(Tペトロ1:3)と、あります。
神をほめたたえるのは、キリストを信じる者を新しく生まれさせて、生きる希望を持つ事が出来るようにして下さったからです。
人には大切な物があります。生きていく上で必要な、物質的な物は多くあります。しかし、心の中に希望がないと、物質的には満たされても、心は満たされることはありません。
人は希望があるから働くこともできるし、生きる力もわいてきます。
しかし、その希望が単に自分の希望であって、神からのものではないなら、いつか失望に終わってしまいます。この世には、確実なものはないからです。
「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。」(Tペトロ1:24)と記されているように、世と世に属するものは、いつしか消えてなくなってしまうものだからです。
では、神が与えてくださる希望とはどのようなものでしょうか。
「生き生きとした希望」(Tペトロ1:3)です。なくなるような希望ではなく、命を与える生きた希望を与えてくださいます。
神は、御自身の豊かな憐みによって、罪ある者を救われました。
憐みとは、ただかわいそうに思うことではありません。神の憐みとは、罪の為に滅びなければならなかった者が、滅びることがないように救われることです。
「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪の為に死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、ー あなたがたの救われたのは恵みによるのです ー。」
(エフェソ2:3−5)
神の愛によって救われたことを感謝し、神をほめたたえます。
神は十字架に架けられ、死なれた主イエス・キリストを三日目に復活させてくださいました。復活の希望です。もし、キリストが十字架で死んで葬られたままだったら希望はありません。
しかし、キリストは復活されました。人は生まれたからにはいつしかこの世を去ります。死を迎えます。死の前には何の力もありません。
しかし、キリストは死に打ち勝たれた復活の主です。
キリストが復活されたように、信じる者は復活の命に生かされ、やがて、復活することを信じています。
この世にある時も、天に移されてからも、同じ復活の命で生かされているのです。永遠の命です。
クリスチャンは復活の希望に生かされている者です。
主イエスを信じて、心に受け入れた者は、だれでも直ちに復活の命をいただけます。新しい命に生きる者となるのです。
ヨハネによる福音書3章に、ファリサイ派のニコデモという人が、夜、主イエスを訪ねて来たという記事があります。
ニコデモは、当時の宗教指導者でしたが、主イエスの教えを聞きたかったのです。
「新しく生まれる」とは、どういうことなのか知りたいと思いました。
主イエスは、ニコデモに、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と言われました。
主イエスは霊的なことを言われたのですが、ニコデモは老年になってから、母の胎に入って生まれることができるでしょうかと答えました。
主イエスは、「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。」(ヨハネ3:5−7)と言われました。
ニコデモは、新たに生まれるということが、なかなか理解できませんでした。しかし、主イエスが教えておられるのは、神の霊によって新しく生まれる事なのだと、知る事が出来たのです。
大祭司や、律法学者が主イエスを逮捕しようとした時、ニコデモは賛同しませんでした。主イエスがメシアであり、新しい命を与えられるお方であることを信じていたからです。
主イエスが十字架で死なれ、葬られる時には、高価な没薬と沈香を大量に持って来て、アリマタヤのヨセフと共に、葬りに使用しました。
伝承によると、後にキリスト教徒となり、殉教したと伝えられています。
私たちは、主イエスを信じて心に受け入れた時から、新しい命に生まれることが出来ました。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
(Uコリント5:17)
このようにして、神は私たちをキリストによって救われ、生ける希望を持つ者にしてくださいました。
この希望がどのような困難や試練にも耐えることのできる希望であり、力なのです。
「また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Tペトロ1:4)と、御言葉は続けられています。
聖書の時代、財産として考えられるものは、食物、衣服、金銀でした。それは、基本的に現代も変わらないと言えるでしょう。
どのように、大切にしていても、それらはいつか古びたり、失ったりしてしまいます。大切に取っておいた穀物が腐ったり、虫に食われてしまう事もあるでしょう。金や銀の財産も失うこともあります。
この世のものはどんなに素晴らしく思えても、やがては無くなるものなのです。
「あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。」(ヤコブ5:2)という御言葉があります。この世のものに頼り、おごり高ぶる人たちに対する警告です。
しかし、天の財産はそのようなものではありません。「朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(ヤコブ1:4)
私たちには、そのような天の財産が備えられていることを、確信したいと思います。いつも天の資産を覚えることができるのです。
それだけではなく、「あなたがたは、終わりの時に現わされるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。」(Tペトロ1:5)
終わりの時とは、主イエスが再び来られる再臨の時のことです。
それがいつかは、誰もわかりません。しかし、昨日よりは今日、そして明日とその日が近づいていることは確かです。その時まで私たちは神の力で守られていることを信じます。
神を信じ、従い、いつでも神の力によって守られていることこそ、希望なのです。
主イエスはいつも私たち一人一人を御覧になり、力強い救いの御手を差しだしてくださいます。共に歩んでいてくださいます。
私たちにも困難がありますが、勝利の主と共に、天の勝利が約束されていることを確信して、さらに前進しましょう。
2026年のみことば
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
Uテモテへの手紙4章2節
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