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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「同じ愛、思いは一つ」
フィリピの信徒への手紙2章1-5節
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日々主に守られて、今日も心を合わせて礼拝できる恵みを感謝します。
きょうは、フィリピの信徒への手紙から、主の御心を聞きましょう。
フィリピの教会は、初めて福音がヨーロッパに伝えられて、建て上げられた教会です。
パウロは小アジアで伝道しようとしましたが、道が開かれませんでした。しかし、それは、福音をマケドニア(ヨーロッパ)に、伝えるための神の御心でした。御心を悟り、すぐに渡って行ったのがフィリピでした。フィリピでは多くの人々が、キリストを信じて、教会が建て上げられました。
パウロにとっても、懐かしく喜びの気持ちを持ち続けている教会でした。
「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。」(フィリピ1:3−5)
パウロは、フィリピの教会や信徒一同を覚えて、感謝と喜びを持って祈りました。
それは、フィリピ教会が、福音が伝えられた最初から、今日まで変わることなく福音のために用いられているからでした。
パウロは、大切に思っている教会に、一致するようにと教えています。
キリストを信じた者が持つ交わりについて、2章1節に記されています。
「キリストによる励まし」、「愛の慰め、「聖霊による交わり」、「慈しみ」、「憐みの心」が、幾らかでもあるならと、書きました。
これらは、キリストご自身がもっておられる品性ですが、キリストを信じる者たちの内に実る実と、考える事が出来ます。そのような実を持つ者の集まりが、教会であり、成長していくのです。
パウロは、あなたがたに、幾らかでもこれらがあるのならという書き方をしていますが、キリストの教会に「ないはずはない」と言っているわけです。
そのような実を持つなら、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」(フィリピ2:2)と、続けて書き記されています。
キリストの教会のうるわしい姿です。
それは、キリストの姿勢から学ぶことができます。主はどのようなお方でしょうか。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3―4)。
パウロは、へりくだるということは、相手を自分よりも優れた者として受け入れることと教えました。
自分より優れているとは、相手の才能や、学歴、生活、社会的地位など、あるいは信仰歴が自分より優れているといった、目に見えることを指しているわけではありません。
まず、人間は神が創造された存在であること、人間が人間であることの大切さ、人間の持つ尊厳に対して敬意を抱くという事と、考えられます。人は、神が愛する対象であることを覚えたいと思います。ですから、互いに愛し合い、大切にし合い、尊敬し合うことは、祝福の基いです。
このことは、教会にも社会にも、家庭にも共通する教えです。
人間関係がうまくいかない、組織、職場、家庭は大変不幸と思われます。お互いを愛し、受け入れ合う気持ちがないために、満たされない思いに苛まれて、いつしか互いに裁く心を持ってしまうからです。
フィリピの教会には、二人の卓越した信仰を持つ婦人がいたようです。
ごく初期には、紫布の女商人リディアがいたのでしょうが、この頃にはもう召されたのかもしれません。
「エボディアとシンティケ」と、名が記されています。この二人は、フィリピ教会の大切な存在で、パウロと共に福音を熱心に伝え、教会の働きにも大きな力を発揮していたと思われます。
ところが、二人はいつからか、意見が合わなくなってしまったようです。パウロにまで、そのことが伝わっていました。
そこで、パウロは教会宛ての手紙で、わざわざこの二人について記しました。
「私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主にあって同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたがたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に闘ってくれたのです。」(フィリピ4:2,3)
二人に仲良く、同じ気持ちで奉仕をするように、また、周囲の信者たちも二人を支えるようにと、パウロは願いました。
自分は絶対に正しいと思いこむと、人を受け入れられなくなってしまいます。二人はすばらしい信仰を持ちながら、いつのまにか自分が正しいと思い込むようになり、互いに対立していました。
それは、個人的な問題ではなく、教会に不一致をもたらしてしまいました。
また、コリントの教会にも、さまざまな問題があり、不一致が起こっていました。パウロの許に、教会に争いがあるという連絡がありました。それは、クロエの家の人たちからの知らせでした。
「わたしはパウロにつく」、「わたしはアポロに」、「わたしはケファに」、「わたしはキリストに」と、それぞれが言い始めて、教会に分裂が起きているという知らせでした。
ある人は、パウロの教えに従い、ある人はアポロに従い、ある人はケファ、すなわちペトロに従うと言い始めて混乱したのです。
また、「キリストに」つくと、言っていた人もありました。
パウロもアポロもケファもそれぞれが優れた伝道者であり、福音のために働いた大きな器です。人間的な考えで、誰が一番偉大かと考えて、その人につくのが良いと、それぞれが思っていました。
また、「キリストに」つくというと、これが一番良いのではないかと思いますが、そうではなく、自分は人には従わない、キリストにだけ従う者だと、他者を見下げる人々がいたのです。これでは教会はバラバラで、キリストのお働きはできません。
パウロは、だれがバプテスマを授けたのかではなく、「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためである・・・」(Tコリント1:17)と教えました。
主イエスを信じて救われていても、御言葉にしっかりと立ち、自分の心に聖霊をお迎えして、日々従わないと、人は弱さによりいつの間にか自分中心に生きるようになってしまいます。
裁き合い、否定し合うところに聖霊の恵みはありません。
御言葉は、互いに相手を自分よりも優れた者として受け入れ合い、他の人に注意を向けることを示しています。
注意を向けるとは、他の人の幸せに益することを考えていくということです。
パウロは最後の伝道旅行の帰途、ミレトスの港まで、エフェソ教会の長老たちを招き、最後の言葉を掛けました。教会を荒らすような存在が起こることを予告し、教会を彼らに託し、自分自身と群れ全体に気を配るようにと励ましました。
主イエスが、「受けるよりは与える方が幸いである」と、言われた言葉を思い出すようにとも伝えました。彼らは海岸で膝まづいて祈り、別れました。
人は与えるより、受ける方が幸いと思います。しかし、受ける事ばかり求める所に問題が起こります。自分は恵みを分かち、与えることが出来ているだろうかと思い返すことは大切です。
キリストは神であられるのに、これ以上ないほどのへりくだった姿勢で、十字架に架って下さったことをいつも思いましょう。
キリストの十字架の従順を思い、私達も仕え合う者であり、教会が一つであるように、聖霊により祈り続けましょう。
今週のみことば
「心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」
コリントの信徒への手紙T 1章10節
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