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阪神チャペルセンター
礼拝メッセージ |
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「神に希望を置く」
コリントの信徒への手紙U1章7-11節 |
わたしたちの天の父に感謝をささげます。
必要をすべて満たし、わたしたちを守り支えてくださる事を感謝します。
天の父はいつも私たち一人一人を愛し、御言葉を与えて魂と体を養って下さいます。きょうも父なる神の御言葉に満たされましょう。
パウロは、コリントの教会に宛てた書簡を2通残しています。1通目は、教会の混乱や無秩序に対しての回答です。
第一の手紙の最後には、「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。」(Tコリント16:13,14)と記して、教会を励ましています。
この御言葉は現在の全ての教会と、クリスチャンの生き方を示している御言葉です。心にしっかりと受け止めておきたいと思います。
コリントの信徒への第二の手紙は、パウロがAD58年頃、エフェソあるいは、テサロニケで記して、テトスが届けたようです。
第一の手紙と違うのは、この手紙がアカイア州の教会にも宛てられているところです。コリントの教会からアカイア州の教会に回されて読まれた手紙です。アカイア州とは、コリントやアテネなどギリシャの北方を指しました。
パウロは、主イエス・キリストによって、使徒として召されて、生涯福音の為に働きました。
困難な中にも、救われる者がおこされて、各地に教会が建て上げられて行くことは、大きな喜びになりました。
パウロは困難や試練の中に、いつも神の慰めをいただいていました。その慰めによって、自分たちも「あらゆる苦難」のなかにある人々を慰めることができると告白しています。
苦しみと慰めを共有し、祈る事が出来るのは、信仰者の大きな恵みです。
コリントの信徒への手紙U 1章8節から、パウロの受けた試練について記されています。
それは、耐えられないほどの圧迫、生きる望みさえ失ってしまい、死の宣告を受けた思いと記しました。
「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。」(Uコリント1:8,9)とあります。
どのような苦難を受けたかは、同じ手紙の11章23節から28節に記されています。
「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上での難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」(Uコリント11:23−28)。
なぜ、このような苦労について詳しく記したのでしょうか。
パウロは、自分が苦労したことを知ってほしいと思ったわけではなく、キリストを信じ、伝えようとする者の苦難の意味を知ってほしいと記したのです。
苦難と福音ということです。これは、私達に対する教えなのです。
福音を伝えようとすれば、必ず困難があります。それは避けては通れません。しかし、伝えなければ御業は起こされません。人は救われません。
クリスチャンは、折が良くても悪くても福音を伝えます。
パウロは死を覚悟するような時にも、あきらめませんでした。
「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」(Uコリント1:9)という信仰に立つ事が出来たからです。
クリスチャンの苦難は、主イエスの復活の命をあらわすためと教えています。そして、自分は土の器だとも記しています。
創世記には、神は土の塵で人を形つくり、その鼻に命の息を吹き入れられて、造られたとあります。
土くれから造られた者には、輝きもなく価値もありません。しかも、もろく壊れやすいのです。しかし、神はその土の器の中に、「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」(Uコリント4:6)を、入れてくださいました。自分は土の器に過ぎないが、十字架で死なれ、復活されたキリストの命に生かされている。主イエスの十字架の苦しみにあずかり、キリストの死と復活を担うことで、常に前進の力があることを教えています。
「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしは知っています。」(Uコリント4:14)
神に希望をかける信仰に生きる者は幸いです。
天の父は、弱り果てるときに叫ぶ声をお聞きになります。
パウロはどうしようもなく苦しんだ時に、大きな穴の底に落ち込んだような思いに苛まれたかもしれません。呼んでも叫んでも、どこにもその声が届かないような思いです。しかし、絶望はありませんでした。
神は声を聞いておられるお方です。うめき声も喜びの声も聞いておられます。誰にも助けられないようなところから、引き上げてくださるお方です。神は神の方法で救出してくださいます。
ダニエル書には、ダニエルが変わることなく、真の神に祈りと賛美をささげたために、ライオンの穴に投げ込まれたことが記されています。
ダニエルはダレイオス王の大臣として重用されていました。ダニエルには、神の霊が宿っていたとあります。
他の大臣たちは嫉妬し、陥れる口実を捜しましたが、見つかりませんでした。それで王を唆し、30日間王以外の他の人間や神に、願い事や祈りをささげてはならないという勅令を出すようにと勧めました。
王は署名しました。ダニエルはその勅令を知っていましたが、いつもの通り、神に祈りと賛美をささげました。役人たちはダニエルを捕え、穴に投げ込みました。王は心配しましたが、自分でも勅令は廃止することはできません。飢えたライオンは、ダニエルを襲いませんでした。翌日ダニエルは王に、「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。」(ダニエル6:22)と、答えました。
神のご支配は自然界にも、動物にも及んでいます。神の許しがなければ、時の権力者にも何事もできないことを覚えたいと思います。
また神は、わたしたちを癒して下さるお方です。
救いは、癒しと同じ意味があります。
人は生まれたからには年を重ねていきます。この地上での歩みがどれくらい続くのか、自分でもわかりません。健やかに、穏やかに生きたいとは思いますが、試練は必ずあります。
健康の悩みもつきまといます。しかし、神は心も体も癒して下さいます。
自分の心を探っていただき、神に喜ばれない思いを告白して、悔い改める時、澱んだ罪がキリストの血により清められて、新しい命に生かされます。心を明け渡す祈りです。
私たちは、永遠の命を喜びます。私たちは、キリストを信じることで神の子とされ、永遠の命が与えられています。
今も、召された後も永遠の命に生かされています。この世では旅人であり、寄留者であること、やがて移される所が本当におるべきところであることを信じます。
パウロは、自分の体験から、過去も、現在も将来も救って下さった、また救って下さる神に希望をかけています。
パウロは、「あなたがたも祈りで援助してください。」(Uコリント1:11)と祈りの要請をしています。祈りにささえられてこそ、福音の働きが、また、与えられている多くの恵みが大きな証しになると確信していました。神にこそ希望を置いて、復活の命を歩みましょう。
今週のみことば
「わたしたちは、
四方から苦しめられても行き詰らず、途方にくれても失望せず、
虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅されない。」
Uコリント4章8-9節
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