「泉への招待」は、作家三浦綾子が1971年から1983年に、生活の中で出会った様々な人との交流の中で、著者の信仰的視点から信仰の反省、聖書の真意の発見など、新しい思いで聖書を命の言葉として共有する喜びを綴った随筆集である。1965年、「氷点」が、朝日新聞大阪本社創立85年、東京本社創立75年記念懸賞小説として当選し、66年から朝日新聞で連載された。単行本は異例の速さで出版された。71万部のベストセラーとなり、映画化され、テレビ連続ドラマなどで放映され、国民的作家として知られるようになった。本来、三浦文学は、クリスチャンとしての自覚の中で、聖書の教える信仰によって生きることの喜びを伝えることを目標としている文学であり、神に仕える「奉仕の文学」である。人が生きるという「生」について問いかけながら、混沌、暗愚、懐疑、悲惨、冷徹といったような、答のない人生を問い掛け、それらに対して信仰の光を当てて真理を導き出すという作風である。1965年、「氷点」の発表に続き、「ひつじが丘」1966年、「積木の箱」1968年、三浦綾子の代表的奉仕文学「塩狩峠」が1968年に発刊される。そして本格的な伝道を目指した「証しの文学」としての、「道ありき」わが青春の記
が1969年に発刊される。続いて「この土の器をも わが結婚の記」1970年、そして「光あるうちに 信仰入門編 」を1971年に発刊する。戦前戦後の激動期、青春を病魔に襲われ、その苦悩の中でのキリストとの出会いを語る。希望の光によって生きる希望と喜びを与えられた。永遠の命への開眼が、人間を生かす根源であり、苦悩をも克服する確固たる福音の恵みと光を、人々に発信する作品集の基礎的な方向性を示している。その間にも1974年に「旧約聖書入門」、1977年に「新約聖書入門」を発刊している。正に、これは「伝道」以外のなにものでもない。1970年より1年1作のペースで作品が上梓される。1974年に「石ころの歌」が発刊される。この作品は、「信仰の祈り」を学び、教える作品であり、心に深く祈る道を教える祈りの指導書になっている。そして次の年には、「細川ガラシャ」の殉教を問う大作を上梓している。このような、初期における著者の作品形成の土壌ともいえる信仰によって、日常のなかでの出来事が随筆となった。これが「泉への招待」である。この作品の題名は、著者が「あとがき」でも書いているように「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:14)からとっているものでのある。「これはキリストの言葉である。わたしの随筆がまずくとも、この中にちりばめられている聖書の思想や言葉が、どうか読んで下さる人の中で、泉となってほしいと願っての題である。」と言っている。この随筆集を読む人の心のどこかに、キリストの命の泉が溢れる恵みが湧きあがって来るようにという、祈りによる語りかけである。
この随筆集を読む人それぞれに、心にとどめた箇所が随所にあることであろうが、わたしも多くの事を教えられた。それぞれが読まれて印象に残ったいくつかを報告して考察したいと思う。 |
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