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書評:アリスター・E・マクグラス著
「プロテスタント思想文化史」
16世紀から21世紀まで

廣瀬利男 

「プロテスタント思想文化史」は「Christianity’s Dangerous Idea」The Protestant Revolution(A History from the Sixteenth to the Twenty-First)の全訳である。著者アリスター・E・マクグラスは2003年5月に初めて来日し、東京神学大学や東京キリスト教大学神学科で宗教改革からポスト・モダン世界のキリスト教を巡って講演をされ、筆者も2日間にわたって深甚博識な授業を受講した。親しみ安く、庶民的な雰囲気に心を引き付けられ、高度な知的内容ではあるが受講を楽しんだ。マクグラスの著作は1990年代より「キリスト教神学入門」を始め「キリスト教の将来と福音主義」や「神学の喜び」「神の科学」「ポスト・モダン世界のキリスト教」など多数の書籍が我が国にも翻訳されて紹介されている。A・E・マクグラスは英国聖公会の神学者であり、オクスフオード大学ウイクリフホール大学院神学研究科の歴史神学教授である。彼は少年期においてマルクス思想に傾倒し、オクスフオード大学に入学して左翼系の学生寮に入るも、キリスト者学生会を通して福音的キリスト教に導かれる。大学では分子生物学を研鑚し、その分野で博士号を取得し、暫くしてジェームス・バーの「フアンダメンタリズム」や「受肉した神の神話」というリベラル派の本を読んで自信を失うが、回復する。そして聖公会で叙任を受けるためにオクスフード大学に入学し神学を学び、1980年に執事に叙任されてノッテンガムの聖レオナルド教会の副牧師に奉職する。オクスフオード大学の神学科ウイクリッフホールで倫理と教理の講義を受け持つように依頼される。やがてオクスフオード大学の歴史神学教授に任ぜられ、組織神学と歴史神学の名誉博士の授任を受ける。A・E・マクグラスは科学者であり、神学者である。マルクス唯物主義に影響を受けながら、社会的な資本主義の矛盾と懐疑の遍歴を経て福音に転換された経歴と総合的で多面的な歴史的視点で歴史を見直し、現在を分析、未来を予見するユニークな学者である。アングリカンの学者である枠組みの中でありながらも歴史の枠組みを越えた客観的な歴史透視で極めて柔軟な包容力で歴史を論理に構成されていることに感服する。
 人間の営みは現在を分析、状況を理解して未来を展望し、問題を克服して、新しい時代、未来を築こうとする。現在は、過去によって成り立ち、過去に学んで未来を見通すことになる。過去を学ぶことは現在を知ることになり、未来を予測し、道を開くこととなる。ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのがある。経験、即ち、現在をどのように理解しても、歴史を学ばずには現在を正確に、適切に自己理解することは不整合であると言っている。しかし、歴史は本来解釈であると言われるように、過去の実態を正確に理解することは不可能に近い。資料に基づいて蓋然性の中から類推することになる。第一級歴史資料に基づいても過ぎ去った過去は出来ごとの輪郭を持ってその成立を解釈することになる。資料によっては平面的、紋切り形の解釈になり解釈者の断定や推測が事実になることもある。
序文で「プロテスタント」《抗議する者》の意味する「宗教改革」を指す言葉の社会的な通称の成立の過程を紹介している。通説では「ルタ―の贖宥に対する95カ条のテーゼを1517年0月31日掲げた事にある」とする。しかし、それはさらに深くて、興味深いことであると指摘している。知的でかつ社会的な大変動の流れの内にあって歴史の偶然であると言う。ルターは1521年ヴオルムスの国会に召喚され、異端であって神聖ローマ帝国の安全を脅かすものとされる。領主には歓迎されなかったが、ルターに同情する領主も増えつつあり、ザクセン選帝候フリードリッヒ公はルターを保護した。ドイツの諸侯はカール5世の政策に反対していたためにルターに関する勅令を再考し、1526年シュバイエル国会でルターの件は諸侯の判断に任せられることになり、ルターの改革を助成することになる。カール5世は他の政務に追われてルターの改革を見過ごさざるを得なかった。そのような事情でローマ教皇は皇帝カールの権威に疑問を持ち始めていた。皇帝は憤激し傭兵2万人でローマを攻略し、教皇クレメンス7世を幽閉した。当時は東方のイスラムの勢力の侵攻が進み、西方の諸国が統一戦線を立て上げなければならなくなり、1529年シュバイエル第2国会が召集される。東からの統一を立ち上げるためであったが、そこには教会批判を憂慮する不安定要因があった。改革は宗教的無政府状態を醸成するとの主張がなされ、カトリック教会議員が多数を占め、ヴオルムス勅令を帝国全域で厳守することを決議し、イスラムと宗教改革の二つの敵を閉じ込めることになった。反対した諸侯、議員は激怒し、抗議した。この人たちが「プロスタンテス」(抗議する者)と呼ばれるようになった。やがてスイスのツイングリー(再洗礼派)やジュネーブのカルヴァン、イタリアのワルドー、14世紀のボヘミヤのフスなども改革の一環として理解されるようになる。カトリックの脅威全体にこの言葉が用いられ、カトリックの一致の趨勢がプロテスタントの呼称を形成することになる。一方、カトリックの権勢がプロテスタントを圧迫することによって、多様な宗教改革の分派が相互に牽制し、対立が生じていた。ルターは、幼児洗礼の否定は赦されざる行為として「再洗礼派」を“狂信主義”とののしる事情があったが、1560年代にはルター派、聖公会、改革派、再洗礼派間の対抗意識、嫌悪感などは薄れて行き、彼らはプロテスタントだと思い直した。しかし、それが何を意味するのか明確でないとマクグラスは指摘している。「プロテスタント」の呼称の経過さえ多様な社会要件の推移の中で成立していることが分かる。
 マクグラスの「プロテスタントの危険な原理」は、その歴史経緯を平面的な教会と政治の変遷の単なる写実ではなく、社会学的に、文化史的に、政治経済の構図、文芸、科学に至る人間と社会の総合的、多面的な関連考察に立って時代を解釈し、物語っている。彼は「本書は学者のために書かれたのではないことをお断りしなければならない。但し、本書の主題に関して現在出版されている最善の研究成果を総合し、多数の複雑で重要な論文や歴史書から、首尾一貫した一大説話を織り出そうという努力がなされている。・・・過去を理解し将来を予告することは共に危険な仕事である。過去を理解する以上に、将来を予告することは特に危険である。それはどのような権威に基づくものであっても変わらない。読者が私の結論を受け入れるかどうかにかかわらず、世界の最も魅力に富み重要な宗教運動の一つの輪郭を眺望する旅を楽しんでもらうのが私の願いである。」と言っている。教会史を学び、現実の宣教牧会に従事している者として、伝承されてきた教理信条、実践的な様式などがどのような経緯をたどって今日があるのかを理解しながら、本書を通して歴史の複合的な源泉と経緯の伝承成立を改めて考え直したい。本書は現在の福音に生きることの本質的なあり方を照射してくれる貴重な文献である。壮大な世界史の中で、その本質的様態、社会学的な時代変遷、ルネッサンスから啓蒙思想時代、社会構造の変化、人権思想の確立、科学の進歩と経済社会の構図、その根底をなす倫理観のメカニズムなどと、16世紀の宗教改革とのかかわりを相互に原因化して現代の世界の流動的な変遷の中で福音宣教、教会の存在の在り方が問われていることを明確に概観してくれている。この書はその過去を近代の学術的な成果の中から厳密に批判して、鳥瞰的視点で提示し、その歴史的な経過を踏まえて現実の問題点を明らかにしている。現在、世界的な福音宣教の拡大を進めているペンテコステ運動をプロテスタント教会の改革の現実として示唆し、既成のデノミネイション(プロテスタント教派)の再起を促して、未来を鳥瞰する内容になっている。
 訳者の紹介では「本書の目的はペンテコスタリズムの大躍進を説明することが著者の中心的関心である。」と指摘している。内容が大きく三部に分れており、第一部では起源、プロテスタントの成立とヨーロッパの宗教から全世界的な宗教への発展と多様に変化する世界の政治変遷と経済の仕組みとの関連で描かれている。第二部で「理念」、プロテスタントの本質的理念を浮き彫りにし、文化に対する影響を通して歴史分析、文化分析、概念分析を総合しプロテスタントの基本姿勢が論述されている。
その最後の第三部は現代のキリスト教の問題と課題が、世界のキリスト教の福音宣教の現実から20世紀に起こった聖霊運動、ペンテコスタリズムの生起と発展、その教理的課題、世俗社会での教会の在り方が細述され、分析されている。啓蒙思想時代から知的中心な神学形成が自己崩壊、無力化している形を率直に論述している。第三部「変革」の項から読まれる事を進めたい。
最後に彼は「プロテスタンティズムの将来を悲観する人々は、繁栄するためはおろか、その前に生き残るためにプロテスタンティズムは自己理解を急進的に変えなければならない。本書の歴史分析、神学分析は多少異なる答えを提供する。われわれはプロテスタント自身の内に、内なる資源に基づいて刷新し,革新、改革を行うユニークかつ内的な能力があることを見た。プロテスタントの将来は、正にプロテスタンティズムが実際にプロテスタンティズム本来の姿を持つことの内にある。」と総括している。極めてある意味の楽観的な予想である。しかし、繰り返し指摘されているようにプロテスタンティズムは「聖書のみ」を基本にして「聖書は全ての信徒が解釈する権利がある」ことから、その適応においても分岐が出来る。当初から分派が生起し、思想と社会構成の変化のなかで分派が生起する。アイデンティティが図られながらも「世俗化」の潮流、正に、世俗化とは「基本的人権」を基本とする世界の潮流であり、権威主義に根本的に離反するものである。時代の流れはそれを押しとどめることは出来ない。それは人類の基本的趨勢であり、聖書の理念、福音の根本的理念でもある。この相矛盾した存在こそが現実の世界である。そこに「危険なプロテスタント原理」−宗教改革―という表題がつけられている由縁であろうか。
 マクグラスはプロテスタントの時代的趨勢に対応した変化を提示している。あらゆる文化に対応し、適応するペンテコステへの問題提起でもある。その福音の本質を見失しなうことなく多様な社会、文化に対する福音化への警鐘でもある。イザヤやエレミヤが時の時世に抗いつつ主の御心を示した預言を彷彿させる。プロテスタントは「万人祭司」であったが、ペンテコステは「万人預言者」であると彼は言う。全ての福音宣教者の必読の書である。

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